六会村
日本の神奈川県高座郡にあった村
六会村(むつあいむら)は、神奈川県の中央南部、高座郡に属していた村。
むつあいむら 六会村 | |
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廃止日 | 1942年3月10日 |
廃止理由 |
編入合併 藤沢市、六会村 → 藤沢市 |
現在の自治体 | 藤沢市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 神奈川県 |
郡 | 高座郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 14.411 km2. |
総人口 |
4,996人 (藤沢市例規集、1942年3月10日) |
隣接自治体 | 藤沢市、小出村、御所見村、綾瀬村、渋谷村、横浜市 |
六会村役場 | |
所在地 | 神奈川県高座郡六会村不動上 |
座標 | 北緯35度23分19秒 東経139度27分51秒 / 北緯35.388611度 東経139.464167度座標: 北緯35度23分19秒 東経139度27分51秒 / 北緯35.388611度 東経139.464167度 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集歴史
編集- 建保年間(1213年 - 1219年) - 亀井村の雲昌寺、光輝山瑞龍寺と号し今田に草創される。開基は北条義時と伝えられる。
- 天正18年(1590年) - 豊臣秀吉が、雲昌寺に禁制を掲げる。
- 天正19年(1591年) - 亀井野村で代官彦坂小刑部元正により検地が行なわれる。
- 慶長9年(1604年) - 西俣野の花応院創建される。
- 慶安元年(1648年) - 雲昌寺、寺領九石の朱印を与えられる。
- 安永4年(1775年) - 引地川に船を通すことについて大庭村、稲荷村、石川村、円行村、羽鳥村および辻堂村より、差支えない旨江戸幕府へ書状を提出する。
- 天明7年(1787年) - 円行村が、村負担により水田開発を実施する。
- 安政2年10月2日(1855年11月11日) - 安政の大地震があり、円行村において年貢金が高100石につき3両割となる。
- 1878年(明治11年) - 郡区町村編制法の施行により、亀井野村、石川村、西俣野村、円行村、今田村および下土棚村による六ヶ村組合が設立される。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、神奈川県高座郡円行村、亀井野村、下土棚村、西俣野村、今田村および石川村が合併し六会村が成立する。
- 1891年(明治23年) - 石川学校、亀井野学校、西俣野学校および亀井野学校円行分校を廃止して、高等六会小学校設立を出願し許可される。
- 1892年(明治25年) - 六会小学校が、尋常高等六会小学校に改称。
- 1912年(大正元年) - 六会村の戸数595戸、人口3,949人。
- 1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災が発生。村の被害は、死者15人、負傷者14人、行方不明1人、家屋全潰757棟、半潰596棟。
- 1926年(昭和元年) - 六会村に霜害が発生。桑、茶などに大被害。桑の相場高騰。
- 1929年(昭和4年)4月1日 - 小田急江ノ島線の開通により新長後駅(現在の長後駅)および六会駅(現在の六会日大前駅)開設。
- 1937年(昭和12年)3月 - 日本大学専門部拓殖科(現在の日本大学生物資源科学部)開設。
- 1942年(昭和17年)3月10日 - 六会村が、藤沢市へ編入される[1]。
- 現在の藤沢市六会地区、湘南台地区が該当する。
交通
編集鉄道路線
編集- 小田急電鉄
- 江ノ島線: - 新長後駅 - 六会駅 -
- 中心となる駅は、六会駅である。
- 小田急江ノ島線にて渋谷村および藤沢市と連絡する。
- 江ノ島線: - 新長後駅 - 六会駅 -
道路
編集- 県道10号 - 現在の国道467号
- 県道14号 - 現在の神奈川県道43号藤沢厚木線
その他
編集脚注
編集- ^ 同年3月9日、神奈川県告示第112号
関連項目
編集外部リンク
編集- 六会地区の紹介|藤沢市
- 二万五千分地形圖 (スタンフォード大学ライブラリ)
- 藤澤 https://purl.stanford.edu/rz359dx8242 - 明治40年測量・昭和12年第二回修正測図(陸地測量部)