八田徳三郎
八田 徳三郎(はった とくさぶろう、1871年6月5日(明治4年4月18日[1]) - 1935年(昭和10年)1月3日[2])は、明治から大正時代の政治家。実業家。銀行家。貴族院多額納税者議員。
経歴
編集広島県出身[2]。安部民治の再従弟として生まれ、1900年(明治33年)9月、八田家の養子となり1904年(明治37年)7月に家督を相続する[1]。1904年(明治37年)以降、広島地方森林会議員、郵便局長[2]、崇徳銀行、芸防抄紙、広島電灯各取締役、広島銀行監査役などを歴任した[1]。
1911年(明治44年)広島県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から[3]1916年(大正5年)4月27日まで在任した[2][4]。
脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。