八木氏
八木氏(やぎし / やぎ の うじ)は、古代日本の神別氏族。姓(かばね)は八木造(やぎのみやつこ)で造(みやつこ)姓。「やぎ」は陽疑、陽枳、矢木にも作る[1]。
八木氏 | |
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丸に木瓜紋 | |
本姓 | 八木造 |
家祖 | 布留多摩乃命 |
種別 | 神別 |
出身地 | 河内国? |
主な根拠地 | 山城国右京 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
出自
編集『新撰姓氏録』によれば、和多罪豊玉彦命(わたつみとよたまひこのみこと)の児神、布留多摩乃命(ふるたまのみこと)の後裔とされる[2]。
「八木」の
九州南部の八木氏
編集薩摩隼人の末裔ともされ真幸院の郡司を務めた日向国日下部氏の庶流の中に、土持氏・岩切氏・海江田氏と共に八木姓が見える。上代にはあまり見られないが、文明年間に肝付氏や島津氏庶流の新納氏に属して伊東氏と伊作島津氏の合戦に参加した者が見える。他には島津氏16代島津義久の祐筆となった八木正信があり、江戸時代は鹿児島衆の中に名が見える。
脚注
編集- ^ 八木町2丁目に寺跡がある。
- ^ 『続日本紀』宝亀6年(775年)正月辛酉(27日)条に「陽疑造豊成女」、宝亀元年12月19日(771年)付「奉写一切経料墨紙筆用帳」(『大日本古文書』第6巻31頁)に「陽枳宮主」、宝亀2年(771年)3月29日付「奉写一切経所解」(同第18巻258頁)に「矢木宮主」とあり、いずれも一族と思われる(佐伯、『新撰姓氏録の研究』)。なお、後2者は同一人物で宝亀2年正月29日付「奉写一切経料墨紙筆用帳」(同第6巻32頁)等に「八木宮主」とあり、姓の記載はないものの恐らく造姓を有したであろうと推測される(佐伯、前掲書)。
- ^ 右京神別地祇部「八木造」条。
- ^ 佐伯、『新撰姓氏録の研究』。
- ^ 近江、「楊貴氏墓誌の研究」。
- ^ 宝亀2年4月10日付「八木宮主解 申請暇日事」(『大日本古文書』第6巻169頁)。なお、八木宮主の名は前掲注のように、当時の文書に散見する。
- ^ 岸、「楊貴氏の墓誌」(『日本古代政治史研究』及び『五條市史』)。