八幡神社 (古河市八幡町)
古河市八幡町にある神社
八幡神社(はちまんじんじゃ)は、茨城県古河市本町(八幡町)にある古河公方ゆかりの神社。旧社格は村社である[1]。
八幡神社 | |
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所在地 | 茨城県古河市本町2-15-15 |
位置 | 北緯36度11分27.62秒 東経139度42分21.16秒 / 北緯36.1910056度 東経139.7058778度座標: 北緯36度11分27.62秒 東経139度42分21.16秒 / 北緯36.1910056度 東経139.7058778度 |
主祭神 | 誉田別命 |
社格等 | 村社 |
創建 | 社伝文安3年(1446年)? |
地図 |
祭神
編集誉田別(ほんだわけ)命を主神とし、他には伊弉冊(いざなみ)命、火産霊(ほむすび)命が合祀されている。[1]
歴史
編集社伝によれば、室町時代の文安3年(1446年)、初代古河公方・足利成氏が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請し、のちの古河城三の丸の地に創建し、神田15石を寄進した。ただし、この年代は成氏が古河に移座した享徳4年(1455年)と整合しない。[1] [2]
『古河志』には、この社伝とともに、江戸町(現在の市内中央町)にあった小山観音寺の記録が引用されている。この記録では、大永元年(1521年)、第二代古河公方・足利政氏が城内に勧請したとされている。[3]
境内
編集本殿は南向き流造銅板葺で1.5坪。境内社としては星の宮神社があり、祭神は天御中主(あめのみなかぬし)命、素戔鳴(すさのお)命 、金山彦(かなやまひこ)命、保食(うけもち)命である[1]。
このうち、金山彦は市内の鍛冶屋に信仰されていた。かつて、古河には関東一の金物商と呼ばれた「八百藤」があり[4]、関東各地はもとより東北地方、北海道にまで農具を出荷していたため、多くの鍛冶屋が集まっていた。[5]
文化財
編集- 八幡神社の大銀杏:寛永19年(1642年)、八幡神社が現在地に移転したときに植えられたと伝えられる銀杏(イチョウ)である。かつては、樹高30.736 m、目通り周囲6.4 mの巨木であったが、 平成12年(2000年)に上部が切断され、現在の樹高は14.20 mとなった。古河市指定文化財(天然記念物)[6]。
- 足利高基書状:第3代古河公方・足利高基が当社を信仰し、神官に対する保護を約束したもの。神主家の伝来文書。古河市指定文化財(古文書)。[7]
- 足利政氏書状:第2代古河公方・足利政氏が当社を信仰し、神官に対する保護を約束したもの。神主家の伝来文書。古河市指定文化財(古文書)。[8]
- 足利義氏書状:第5代古河公方・ 足利義氏が当社を信仰し、神官に対する保護を約束したもの。神主家の伝来文書。古河市指定文化財(古文書)。[9]
交通
編集脚注
編集参考文献
編集- 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 通史編』 古河市、1988年
- 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 資料 別巻』 古河市、1973年
- 古河市史編さん委員会 編 『古河市史 民俗編』 古河市、1983年
- 古河市文化財保護審議会 編 『古河市の文化財』 古河市、1993年