八島祥司
日本のプロ野球選手 (1970-)
八島 祥司(やしま しょうじ、1970年9月14日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 千葉県柏市 |
生年月日 | 1970年9月14日(54歳) |
身長 体重 |
182 cm 73 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1988年 ドラフト外 |
初出場 | 1990年8月3日 |
最終出場 | 1991年9月4日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
来歴・人物
編集市立柏高では3年夏に県大会準優勝を果たす。1988年オフにドラフト外でロッテオリオンズに入団。
プロ入団時には、すでにフォークをマスター済みで「秋山、清原からフォークで連続三振を奪うのが夢」と抱負を語っていた。
2年目の1990年8月3日に初めて一軍登録され、その日の6回裏一死2,3塁のピンチでベンチに座っていたところ、金田監督から「お前行けるか」と登板を命じられてプロ入り初登板を果たす[1]。急遽ベンチ裏からグラブを取り出してキャッチボールをしただけでの登板だった[1]が、ピンチを抑えて1回2/3を投げた後に、チームが逆転してプロ入り初勝利を挙げる。さらに同月19日にはプロ初先発を果たすが、先頭から2者連続安打を打たれた時点で交代させられ、プロ唯一の敗戦を喫した。1993年限りで現役を引退。オーバースローの本格派で、カーブ、シュート、フォークといった変化球のキレも良く制球力もあるが、決め球不足だった。
引退後もロッテに残り、2009年まで打撃投手を務めた後、2010年からスコアラーを務めている。同郷でチームメイトだった小宮山悟の引退試合では小宮山に花束を渡した。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1990 | ロッテ | 8 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 41 | 9.0 | 13 | 3 | 2 | 0 | 2 | 4 | 0 | 0 | 10 | 10 | 10.00 | 1.67 |
1991 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 37 | 7.2 | 9 | 0 | 6 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 1 | 1 | 1.17 | 1.96 | |
通算:2年 | 12 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 78 | 16.2 | 22 | 3 | 8 | 0 | 2 | 8 | 1 | 0 | 11 | 11 | 5.94 | 1.80 |
記録
編集- 初登板・初勝利:1990年8月3日、対オリックス・ブレーブス15回戦(グリーンスタジアム神戸)、6回1死から3番手で救援登板、1回2/3無失点
- 初先発登板:1990年8月19日、対オリックス・ブレーブス19回戦(札幌円山球場)、0/3回1失点
背番号
編集- 65 (1989年 - 1993年)
- 103 (1994年 - 2009年)
脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 八島祥司 - NPB.jp 日本野球機構