全日本実業団サッカー選手権大会
全日本実業団サッカー選手権大会(ぜんにほんじつぎょうだんサッカーせんしゅけんたいかい)は、1948年から1964年まで開催されたサッカーの実業団(企業、公団など)チーム日本一を決める公式トーナメント大会。朝日新聞社共催。
参加資格は実業団チームのみに与えられており、地域の社会人クラブチームは参加できなかった。
第1回大会は、1948年5月に関西・東京・関東の3地区で予選が行われ、4チーム(関西2、東京1、関東1)に出場権が与えられた。第2回大会からは予選が全国に広がり、8チームに出場権が与えられた。最終的には出場チームは20チームに拡大された。
第17回大会をもって、1965年から始まる日本サッカーリーグ(JSL)および全国社会人サッカー選手権大会へと、全国都市対抗サッカー選手権大会と共に発展的解消された。
JSLが総当り戦であるのに対して、この大会は一ないし二会場でのノックアウト方式によるトーナメント戦であった。開催時期は5月頃だったが、後には秋となった。
歴代大会結果
編集年度 | 回 | 優勝 | スコア | 準優勝 | 3位 | 4位 | 開催地[1] | 開催期間[1] |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1948年 | 1 | 湯浅電池 | 2-1 | 田辺製薬 | 三共 | 茨城日立 | 西宮市(西宮球技場) | 5月22日-23日 |
1949年 | 2 | 三共 | 3-0 | 茨城日立 | 田辺製薬/第一生命 | (準決勝敗退チーム) | 西宮市(西宮球技場) | 5月3日-5日 |
1950年 | 3 | 田辺製薬 | 2-0 | 第一生命 | 日本鋼管/東洋工業 | (準決勝敗退チーム) | 東京都(武蔵野球場) | 5月3日-5日 |
1951年 | 4 | 田辺製薬 | 3-0 | 日立本社 | 東洋工業 | 大阪府庁 | 西宮市(西宮球技場) | 5月2日-6日 |
1952年 | 5 | 田辺製薬 | 2-0 | 日立本社 | 東洋工業 | 茨城日立 | 東京都(明治神宮) | 5月24日-27日 |
1953年 | 6 | 田辺製薬 | 2-1[1] | 日立本社[1] | 日本軽金属 | 東洋工業 | 藤枝市(藤枝東高) | 5月21日-24日 |
1954年 | 7 | 田辺製薬 | 4-0 | 日立本社 | 東洋工業 | 日本軽金属 | 松山市(松山北高) | 9月23日-26日 |
1955年 | 8 | 田辺製薬 | 2-0(延長) | 東洋工業 | 日本軽金属 | 八幡製鉄 | 函館市(千代ヶ岱球場) | 9月23日-26日 |
1956年 | 9 | 東洋工業 | 4-0 | 田辺製薬 | 日本鋼管 | 八幡製鉄 | 徳島市 | 9月21日-24日 |
1957年 | 10 | 田辺製薬 | 2-0(延長) | 東洋工業 | 日立本社 | 日本鋼管 | 京都市(西京極) | 9月21日-24日 |
1958年 | 11 | 日立本社 | 2-0 | 古河電工 | 田辺製薬 | 八幡製鉄 | 東京都(小石川) | 9月20日-24日 |
1959年 | 12 | 古河電工 | 2-0[1] | 新三菱重工 | 東洋工業 | 日本鋼管 | 清水市(清水商高) | 9月24日-28日 |
1960年 | 13 | 日立本社 | 4-2[1] | 八幡製鉄 | 古河電工 | 東洋工業 | 島原市(島原商高) | 9月22日-26日 |
1961年 | 14 | 古河電工 | 3-1[1] | 日立本社 | 新三菱重工 | 八幡製鉄 | 新潟市(新潟市営競技場ほか) | 7月16日-20日 |
1962年 | 15 | 東洋工業 古河電工 |
0-0[1](延長) | (両チーム優勝) | 八幡製鉄 | 日本鋼管 | 防府市(協和醗酵グラウンド) | 11月3日-7日 |
1963年 | 16 | 八幡製鉄 | 2-0(延長) | 日立本社 | 新三菱重工 | 東洋工業 | 岐阜市(岐阜市営、岐阜大学) | 11月3日-7日 |
1964年 | 17 | 八幡製鉄 | 3-0 | 日立本社 | 東洋工業 三菱重工 |
(両チーム3位) | 藤枝市(藤枝東高、藤枝北高) | 11月21日-25日 |