入来院定馨
入来院 定馨(いりきいん さだきよ)は、江戸時代中期から後期にかけての薩摩藩士。薩摩入来領主、入来院氏25代当主。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
---|---|
生誕 | 宝暦9年7月29日(1759年8月21日) |
死没 | 天明4年8月10日(1784年9月24日) |
改名 | 岩袈裟(幼名)→定馨 |
別名 | 通称:隼人 |
主君 | 島津重豪 |
藩 | 薩摩藩 |
氏族 | 入来院氏 |
父母 | 父:入来院定勝、母:島津久富養女(島津久寿養妹、本田由親娘) |
兄弟 | 定馨、定凭、嘉弥(町田久慶室) |
子 | 定矩 |
生涯
編集宝暦9年(1759年)7月29日、島津氏の家臣・入来院定勝の長男として生まれる。明和6年(1769年)、父の隠居により家督相続し、入来領主となる。安永9年(1780年)、綾地頭職となる。天明4年(1784年)8月10日没。享年26。
弟・定凭は、定馨の逝去を江戸で知り、帰途の途中伏見で没した。家督は嫡男・定矩が相続した。
定馨の命で寺床湯の山で桜桃の栽培が始められた。
参考文献
編集- 「入来村史」