光聚院(こうしゅいん、元和6年(1620年) - 貞享元年11月18日(1684年12月24日)[1])は、久保田藩第2代佐竹義隆の正室。俗名は寿流姫。佐竹南家第4代当主佐竹義章の娘。母は渋江政光の娘。弟に佐竹南家第5代佐竹義著、渋江隆光(渋江光久養子)。佐竹義処、佐竹義長らの母。
寛永10年(1633年)に義隆と婚姻[1]。和歌や書道をよくし、倹約を旨とした良妻賢母として知られる。
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