元町百段公園
元町百段公園(もとまちひゃくだんこうえん)は、横浜市中区山手町にある公園である。
元町百段公園 | |
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分類 | 街区公園 |
所在地 | |
座標 | 北緯35度26分23秒 東経139度38分55.9秒 / 北緯35.43972度 東経139.648861度座標: 北緯35度26分23秒 東経139度38分55.9秒 / 北緯35.43972度 東経139.648861度 |
面積 | 750m2[1] |
前身 | 浅間神社 |
開園 | 1987年6月1日 |
駐車場 | なし |
アクセス |
神奈川中央交通「代官坂上」バス停より徒歩3分 みなとみらい線元町・中華街駅、根岸線石川町駅から徒歩 |
施設
編集元町の裏手の高台にある小さな公園で、円柱のオブジェとベンチ、大きな桜の木がある。公園の名称は、かつて元町から丘の上に通じていた石段「元町百段」から名付けられたもので、入口には碑が建てられている。現在は元町からは、百段跡のやや東の、代官坂から分かれる高田坂の階段が元町百段公園に通じている[2]。眺望は北に開け、山下町方面を一望できる[3]。
元町百段
編集厳島神社の末社で、かつては旧横浜村の海辺にあった浅間神社は、1859年の横浜港開港後の開港場整備に伴い住民が元町に移った1860年(万延元年)[4]に、山手の丘の上に移された。その際に、運上所御用船の船頭である勘次郎が、元町の前田橋の先から浅間神社にまっすぐ登る石段を寄進した[5]。石段は101段あったことから、「百段坂」や「元町百段」と呼ばれ親しまれた。丘の上には浅間神社の祠のほか、港を一望できる見晴台や茶屋が設けられ、多くの日本人や居留外国人が訪れた[6]。
1923年9月1日に発生した関東大震災で石段は崩落し、丘の下の数十軒の家屋を押しつぶし多くの犠牲者を出した。その後石段が再建されることはなかった[6]。元町百段を偲ぶものとして、1987年に浅間神社跡に元町百段公園が開園。1991年に元町商店街に完成した商業ビルは「百段館」と名付けられた。
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エントランスの、元町百段の碑
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前田橋から伸びる道の突き当り、霧笛楼の裏手の崖に元町百段があった
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前田橋から見た元町百段。日下部金兵衛撮影、1890年頃
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大震災直後の状況
脚注
編集- ^ 中区公園プロフィールNo.62 元町百段公園 (PDF)
- ^ “開港横浜の明治大正期の名勝史跡、元町百段の名残りを探してみた”. 関内新聞. (2017年6月17日) 2017年6月18日閲覧。
- ^ “お花見のできる公園 元町百段公園”. 横浜市環境創造局公園緑地管理課 (2014年3月10日). 2017年6月18日閲覧。
- ^ “『元町百段』の碑”. 横浜中華街 福養軒三代目ブログ (2015年6月9日). 2017年6月18日閲覧。
- ^ 『横浜・地図にない場所』p.5-6
- ^ a b “【横浜歴史画】元町百段”. THE YOKOHAMA STANDARD (2017年3月2日). 2017年6月18日閲覧。
参考文献
編集- 横浜開港資料館 編『横浜・地図にない場所』横浜市ふるさと歴史財団、2017年4月26日、5-6頁。