元田亨吉
大日本帝国陸軍軍人
元田 亨吉(もとだ こうきち、1871年2月6日(明治3年12月17日)[1] - 1931年(昭和6年)3月18日[2])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等爵位は正三位勲三等男爵[3]。
元田 亨吉 | |
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生誕 |
1871年2月6日 肥後国 熊本藩 |
死没 | 1931年3月18日(60歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1893年 - 1923年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
経歴・人物
編集肥後国熊本藩(現・熊本県)出身[2][4]。熊本藩士で儒学者の元田永孚の嫡孫。男爵・元田永貞の嫡子として生まれた。
1893年(明治26年)陸軍士官学校第4期卒業[2][4]。1915年(大正4年)8月に敦賀連隊区司令官、1916年(大正5年)11月に陸軍歩兵大佐、1917年(大正6年)8月に歩兵第70連隊長、1921年(大正10年)4月に陸軍少将・歩兵第20旅団長を経て、1923年(大正12年)8月に待命、翌月、予備役に編入した[2][4]。
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 人事興信所編『人事興信録』第4版、人事興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録』第8版、人事興信所、1928年。
日本の爵位 | ||
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先代 元田永貞 |
男爵 元田(永孚)家3代 |
次代 元田竹彦 |