倉知俊彦
倉知 俊彦(くらち としひこ、1931年〈昭和6年〉7月7日[1] - 2018年〈平成30年〉12月2日)は、日本の政治家。位階は正五位。勲等は旭日中綬章。豊田市名誉市民[2][2]。
倉知 俊彦 くらち としひこ | |
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生年月日 | 1931年7月7日 |
出生地 | 日本 愛知県豊田市 |
没年月日 | 2018年12月2日(87歳没) |
死没地 | 日本 愛知県名古屋市千種区(愛知県がんセンター) |
出身校 | 愛知県立豊田西高等学校 |
前職 |
愛知県職員 建設会社員 |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 |
正五位 旭日中綬章 豊田市名誉市民 |
愛知県議会議員 | |
選挙区 | 豊田市選挙区 |
当選回数 | 11回 |
在任期間 | 1971年4月 - 2015年4月 |
第67代 愛知県議会議長 | |
在任期間 | 1987年5月 - 1988年5月 |
愛知県豊田市選挙区選出の愛知県議会議員(自由民主党所属、11期)。第67代愛知県議会議長[3]、自由民主党愛知県支部連合会会長、幹事長、自由民主党愛知県議団団長などを歴任した。
経歴
編集1931年(昭和6年)愛知県豊田市に生まれる[4]。愛知県立豊田西高等学校卒業後、愛知県職員や建設会社員を経て1971年(昭和46年)4月、愛知県議会議員選挙に初当選[4]。
2003年(平成15年)12月20日、自民党愛知県連会長に就任[5]。県議が会長に就任したのは同県連で初めて。
2011年愛知県議会議員選挙で11選[6]。11回の当選は当時の愛知県議会史上最多当選タイ記録[注釈 1]。
2013年(平成25年)6月20日、県議会本会議で32年ぶりに一般質問した[7]。前回の一般質問は3期目だった1981年の6月定例会で、1988年の誘致を目指していた名古屋オリンピックについてだった。32年間一般質問を行わなかった理由については、「議長や県議団長の経験者がしゃしゃり出ると、若い議員が質問する機会がなくなる」と説明した。
2015年(平成27年)3月3日、2015年愛知県議会議員選挙には立候補せず、政界を引退することを発表した[8]。後継は土井真樹や鈴木政二、八木哲也の秘書を務めた鈴木雅博。引退後は自民党愛知県連相談役を務めた。
11月27日、豊田市は倉知を名誉市民に推挙すると発表[9]。市の内規で定める「県議を5期以上」「県議長経験者」などの基準を満たすことから推挙が決定された。2016年(平成28年)3月5日、豊田市民文化会館で開かれた市制65周年記念式典にて豊田市名誉市民に推挙された[2][10]。豊田市名誉市民は倉知で19人となった。
栄典
編集脚注
編集- ^ a b 『現代物故者事典2018~2020』(日外アソシエーツ、2021年)p.206
- ^ a b c “とよたの人物”. 2021年12月10日閲覧。
- ^ 歴代正副議長一覧 (PDF)
- ^ a b 『中日新聞』2018年12月05日付朝刊県内版16頁、「「懐深い大政治家」 倉知元県議死去 党派超え悼む声」
- ^ 『中日新聞』2003年12月21日付朝刊30頁、「自民党愛知県連 新会長に倉知氏 初の県議就任」
- ^ 『中日新聞』2011年04月11日付朝刊三河版10頁、「県議選 民主が2議席獲得 中村さん再選 樹神さん初当選 豊田市」
- ^ 『中日新聞』2013年06月21日付朝刊県内版18頁、「県議会(下) 大ベテラン32年ぶり一般質問 設楽ダムめぐり」
- ^ 『中日新聞』2015年03月03日付朝刊県内総合19頁、「倉知県議が引退へ 最多11期目「後進を育成」」
- ^ 『中日新聞』2015年11月28日付朝刊豊田版20頁、「元県議倉知さん 名誉市民に推挙 豊田市」
- ^ 『中日新聞』2018年12月05日付朝刊26頁、「豊田市制65周年記念式典 倉知元県議 名誉市民に」
- ^ 『中日新聞』2018年12月04日付朝刊30頁、「(訃報)倉知俊彦元県議死去 87歳 愛知 自民の重鎮」
- ^ 『中日新聞』2018年12月29日付朝刊県内版16頁、「叙位叙勲(28日)」
- ^ 『中日新聞』2001年05月23日付朝刊県内版18頁、「議員在職30年 4氏を顕彰 県議会」
注釈
編集- ^ 2019年愛知県議会議員選挙にて、自民党の筒井隆彌が12選を果たし記録を塗り替えた。
党職 | ||
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先代 杉浦正健 |
自由民主党愛知県連会長 2003年 - 2005年 |
次代 大村秀章 |
議会 | ||
先代 松井治之 |
愛知県議会議長 第67代:1987年 - 1988年 |
次代 長木一 |