倉光藤太
日本の漁業家、政治家 (1859-1935)
倉光 藤太(くらみつ とうた、1859年4月26日(安政6年3月28日[1])- 1935年(昭和10年)7月13日[2])は、明治から大正期の漁業家、政治家。衆議院議員。幼名・棟太郎[3]。
経歴
編集壱岐国壱岐郡箱崎村[4][5](長崎県[2]壱岐郡芦辺町を経て現壱岐市)で、水産業、先代倉光藤太、モトの長男として生まれる[3]。和漢学を修めた[2]。1890年(明治23年)4月、藤太を襲名した[3]。
家業の水産業を継ぎ、その改良発展に尽力した[2][3][4][5]。壱岐実業会副会長に就任[2][4][5]。
1908年(明治41年)5月の第10回衆議院議員総選挙で長崎県郡部区から無所属で出馬して初当選[4][6]。実業界に専念するため第11回総選挙に立候補しなかったが、1915年(大正4年)3月の第12回総選挙に立憲同志会から出馬して再選され[4][6]、衆議院議員に通算2期在任した[2][5]。その後、衆議院議員当選無効請求が提起され、1916年(大正5年)10月13日、大審院において上告が棄却され議員を辞職した[2][7]。
脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1911年。
- 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。