信国助左衛門吉包
信国助左衛門吉包(のぶくに すけざえもん よしかね、生年不詳 - 1693年(元禄6年)8月22日、)は、日本の刀工。信国派14代であり、筑前信国派に属する[1]。福岡藩工。祖父信国吉貞が始めた袋槍で名高い[2]。俗名は助左衛門、平四郎[1]、法名は夢住如幻居士[3]
生涯
編集信国助左衛門吉貞ト打┬信国勘助吉次ト打-信国助左衛門吉包ト打 今平四郎-信国勘助重包ト打(中略) ├信国平四郎吉政ト打-信国平四郎吉政ト打-信国平四郎重宗ト打(中略) └信国孫四郎吉助ト打-信国作左衛門吉貞ト打-信国源市吉親ト打 十三代吉次勘助倅平四郎(中略)助六総領家之様ニ申候 享保四年十一月廿五日 信国助六 信国平四郎
本系図は吉包よりの伝聞を1721年(享保6年)徳川吉宗に選ばれ「葵一葉」を許された4名人の一人で息子の信国重包が福岡藩家老吉田栄年に1719年(享保4年)に示したものである[1]。
在世中の記録は見ない。辞世の句「極楽も、地獄も今朝の玉あられ、十万おくどまたはるるらん」が知られる[4]