佐魯麻都
佐魯麻都(さろまつ、生没年不詳)は、倭系の安羅人[1]。任那日本府の実務担当者である「執事」。
佐魯麻都 | |
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各種表記 | |
漢字: | 佐魯麻都 |
発音: | {{{nihonngo-yomi}}} |
日本語読み: | さろまつ |
概要
編集河内直、阿賢移那斯らとともに佐魯那奇他を祖先にもつ。541年、新羅と通じて百済の聖明王の招集に応じず、聖明王から叱責された。544年、聖明王は佐魯麻都の召喚を欽明天皇に求め、545年には佐魯麻都らを任那復興の邪魔者として報告している[1]。
東進する百済から安羅を守るために新羅との連携を重視する「親新羅派」であり、『日本書紀』欽明紀五年三月条は、新羅の第十一官等の奈麻の衣冠をかぶり、新羅と公私往来していたと伝えられる[2]。
脚注
編集- ^ a b 朝日日本歴史人物事典『佐魯麻都』 - コトバンク
- ^ 李在碩 (I, Jesoku)「六世紀代の倭系百済官僚とその本質」『駒澤史学』第62巻、駒澤史学会、2004年3月、43頁、CRID 1050564288184403072、ISSN 04506928。