佐野春五
佐野 春五(さの しゅんご、万延元年11月11日[1](1860年12月22日) – 昭和5年(1930年)8月14日[2])は、日本の衆議院議員(立憲国民党)。弁護士。
経歴
編集淡路国津名郡塩田村(現在の兵庫県淡路市)出身[3]。徳島慶應義塾で学んだ後、1876年(明治9年)から慶應義塾本校で学んだ[3]。一度郷里に戻った後、1885年(明治18年)に再び上京し、東京専門学校(現在の早稲田大学)を経て、英吉利法律学校(現在の中央大学)に入った[3]。1887年(明治20年)、英吉利法律学校を卒業し、代言人試験に合格した[3]。神戸市で弁護士を開業し、神戸弁護士会長を務めた[2]。また塩田村会議員、兵庫県会議員を歴任した[2]。
1908年(明治41年)、第10回衆議院議員総選挙に出馬し、当選を果たした。
脚注
編集参考文献
編集- 細川要三・朝岡鎮太郎編『兵庫県弁護士列伝』1893年。
- 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。