佐野久綱
日本の江戸時代前期の武士。下野佐野藩主佐野信吉長男で、佐野藩世嗣。佐野氏20代当主。改易後、江戸幕府旗本(3000俵)。御書院番を勤めた
佐野 久綱(さの ひさつな)は、江戸時代前期の旗本。下野国佐野藩の嫡子。佐野信吉の長男。子に佐野盛綱(三男)など。号は雲峰。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長5年(1600年) |
死没 | 延宝7年6月25日(1679年8月1日) |
別名 | 小吉、吉兵衛 |
戒名 | 義光院殿雲峰性忠大禅定門[1] |
墓所 | 東京都目黒区下目黒3-20-9 深川海福寺[1] |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家康→秀忠 |
藩 | 下野佐野藩 |
氏族 | 藤原北家秀郷流佐野氏 |
父母 | 父:佐野信吉 母:佐野宗綱娘 |
兄弟 | 佐野公當、島村貫吉室 |
妻 | 大森氏 |
子 | 佐野盛綱 |
生涯
編集慶長5年(1600年)、下野佐野藩主・佐野信吉の長男として誕生。初名は定綱。
慶長19年(1614年)、父の兄にあたる伊予国宇和島藩主・富田信高の事件に連座して佐野藩は改易され、父とともに信濃国松本藩に預かりの身となった。
元和8年(1622年)に赦免され、寛永15年(1638年)に江戸幕府に召し出されて50人扶持を与えられ、書院番士となる。寛永17年(1640年)には3,000俵を給され、弟の公當に1,000俵を分与。のち久綱の子孫は3,500石の旗本寄合となった。