佐賀玉屋
株式会社佐賀玉屋[1](さがたまや、英: Saga Tamaya Co., Ltd.)は、佐賀県佐賀市に本社・店舗を置く、同県内唯一の百貨店[3]である。日本百貨店協会加盟店。
佐賀玉屋 | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
略称 | 玉屋、タマヤ |
本社所在地 |
日本 〒840-8580(専用番号) 佐賀県佐賀市中の小路2番5号[1] 北緯33度15分12.5秒 東経130度17分58.3秒 / 北緯33.253472度 東経130.299528度座標: 北緯33度15分12.5秒 東経130度17分58.3秒 / 北緯33.253472度 東経130.299528度 |
設立 | 1930年(昭和5年)12月3日[1] |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 9300001000778 |
事業内容 | 百貨店業 |
代表者 | 代表取締役社長 山越悠登 |
売上高 |
46億円 (2023年2月期) |
純利益 |
▲2億7300万円 (2023年2月期)[2] |
総資産 |
40億7100万円 (2023年2月期)[2] |
従業員数 | 約140人[3] |
主要株主 | 株式会社さくら(100%) |
関係する人物 | 田中丸善吉(創業者) |
外部リンク | https://www.saga-tamaya.co.jp/ |
概要
編集玉屋グループは佐賀県が創業地でもあり[4]、佐賀玉屋はその流れをくむ。
県内にある他の百貨店は、兄弟会社の伊万里玉屋であったが、2016年(平成28年)1月31日をもって閉店し[5]、佐賀県唯一の百貨店となった。
佐賀市が福岡都市圏にあり、隣接する福岡市の百貨店との競合を強いられている。
佐賀玉屋が店舗を構えていた頃の呉服町(現呉服元町)や移転後の中央大通り沿いは佐賀市街の商業中心地だったが、大型商業施設の進出をはじめとする郊外化の影響で変化を受けていて、活性化の施策が執られている地域でもある[6][7]。
1996年度(平成8年度)には165億円を売り上げたが、2000年代以降は上記のように郊外型商業施設が増え、ドラッグストアやディスカウント店の出店も加速し、2015年2月期の売上高は81億円と最盛期から半減した。ピーク時に6店あった佐賀玉屋の店外ショップも現在は吉野ヶ里ショップ1店舗のみ。2020年(令和2年)度からは県のDX推進事業に採択され、業務改革を進めたが、新型コロナ禍で業績は悪化し、2021年2月期からは売上高が50億円を下回っており[8][9]、2023年2月期の売上高は約46億円まで落ち込んでいる[3]。2017年(平成29年)には、本館が県と市の大規模建築物の耐震診断結果で、震度6強以上の大規模地震で倒壊または崩壊する危険性が高いと判断され、耐震化工事も大きな負担となり、地方の百貨店としての転換期を迎えていた[9]。
このため百貨店として営業を続けながら建て替えを進める支援企業を探し、京都市の不動産会社「さくら」をスポンサーとする再生計画が決まった[3]。同社は不動産売買のほか、ホテルや飲食事業も手がけている。佐賀玉屋については老朽化した本館を取り壊し後、新たにビルを建設する。新本館ビルは10階建てを予定し、1階 - 4階は百貨店、誘致したテナント、イベント開催スペースとして、5階 - 10階はシティーホテルとして150室 - 180室を予定している。2024年(令和6年)7月以降、本館機能を南館に移転し、2026年(令和8年)中の開業を予定している。新本館ビルの開業後に南館の建て替えに着手する予定[10]。新しいビルは百貨店の売り場だけでなく、オフィスビルやホテルなど複合的な形態が検討されているという。
2023年(令和5年)12月に臨時株主総会を開き、正式に譲渡が決まった。佐賀大学で学んだ「さくら」統括本部長の山越悠登が社長に就任した。創業家出身の社長だった田中丸雅夫は退任するが[9]、相談役として残る[11]。2024年1月末を以て100%減資を実施し、さくらを引受先とする増資払込金の一部で金融機関からの借り入れを弁済し、約140人いる従業員の雇用は維持する[3]。
沿革
編集- 1806年(文化3年):田中丸善蔵が、肥前国小城郡牛津村(現在の佐賀県小城市牛津町牛津)西町に荒物店「田中丸商店」として創業[4][8][9]。
- 1870年(慶応6年):呉服店へ転換し、百貨店の前身「田中丸呉服店」を立ち上げる[8]。
- 1918年(大正7年)10月30日:「株式会社田中丸呉服店」に改組[4][8]。創業母体の流れをくみ設立。創業地牛津を総本店とするとともに、佐世保支店が佐世保玉屋の開業計画を発表[8]。
- 1930年(昭和5年)12月3日:「株式会社佐賀玉屋」を設立[1][12]。
- 1933年(昭和8年)
- 1934年(昭和9年):「株式会社玉屋百貨店」に改称[12]。
- 1941年(昭和16年):現社名に改称[12]。
- 1945年(昭和20年):建物供出のため、呉服町の深川製磁および丸白屋呉服店跡を借りて臨時営業。翌年、供出解除により通常営業に復帰[12]。
- 1965年(昭和40年)12月1日:中央大通りの開通に合わせ、現在地の中の小路に移転。地下1階、地上6階、総面積9,700 m2。屋上にはミニ遊園地も備え、売り場は従来の2.3倍になった[8][9][15]。
- 1976年(昭和51年):増築を計画するが、商店街の反対を受けて撤回。翌年には商店街やスーパーマーケットと合同で催事を行う融和策もとった[12][16]。
- 1980年(昭和55年):新館(現・南館)開業[1][8]。
- 1992年(平成4年):本館を北隣のビルの一部に拡張[8]。
- 2000年(平成12年)2月:株式会社西日本興産を合併[1]。
- 2018年(平成30年)9月:本館7階を閉鎖。
- 2022年(令和4年)8月:鹿島ショップを閉店。
- 2023年(令和5年)
- 2024年(令和6年)
- 2025年(令和7年)6月に新本館着工、2026年(令和8年)11月新本館ビル開業予定[10] [20]。
店舗
編集すべて佐賀県に所在。
店舗名 | 所在地 | 店舗面積 | 備考 |
---|---|---|---|
佐賀玉屋 | 佐賀市中の小路2-5 | 15.832 m2 | |
吉野ヶ里ショップ | 神埼郡吉野ヶ里町田手1669-1 |
過去の関連会社
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f 『流通会社年鑑 1990年版』, 日本経済新聞社, (2002-12-20), pp. 30-32
- ^ a b 株式会社佐賀玉屋 第94期決算公告
- ^ a b c d e 「佐賀玉屋の再生成立、百貨店は継続」『日経MJ』2023年12月13日(大型小売り・ファッション面)
- ^ a b c 『流通会社年鑑 1990年版』, 日本経済新聞社, (1990-11-24), pp. 31
- ^ 菅原普「伊万里玉屋が閉店 50年の歴史に幕 惜しむ客、県内外から」『朝日新聞』朝刊2016年2月1日(佐賀全県版)
- ^ 鈴木文彦. “路線価でひもとく街の歴史 第39回「佐賀県佐賀市」”. 『ファイナンス』 (財務省) (令和5年5月号). ISSN 04486072 .
- ^ “佐賀市中央大通り再生計画 第2章 中央大通り(中心市街地)の現状と課題”. 佐賀市役所. pp. 10-12 (2015年6月). 2024年2月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k “佐賀県内唯一の老舗百貨店に何が…佐賀玉屋の歩み”. 佐賀新聞 (2023年12月11日). 2023年12月11日閲覧。
- ^ a b c d e f g “佐賀玉屋、全事業を譲渡へ 百貨店は継続、雇用も維持 京都の不動産会社に”. 佐賀新聞 (2023年12月11日). 2023年12月11日閲覧。
- ^ a b c d e “【速報】佐賀玉屋、全館リニューアル計画を発表 山越悠登・新社長が会見”. 佐賀新聞 (2024年2月15日). 2024年2月15日閲覧。
- ^ 「佐賀玉屋 百貨店やホテルなどが入る複合型商業施設建設へ」NHK 佐賀 NEWS WEB(2024年2月15日付)2024年3月4日閲覧
- ^ a b c d e “会社概要”. 佐賀玉屋. 2024年2月29日閲覧。
- ^ 『佐賀経済のあゆみ 佐賀商工会議所創立七十周年記念』, 佐賀商工会議所, (1966-09-29), pp. 415
- ^ 『松尾建設百年史』, 松尾建設, (1986-02-10), pp. 260-262
- ^ 『佐賀経済のあゆみ 佐賀商工会議所創立七十周年記念』, 佐賀商工会議所, (1966-09-29), pp. 403
- ^ 佐賀市史編さん委員会 編『佐賀市史 第5巻 近代編 現代編』1981年。全国書誌番号:81020068。(参考Web公開資料:佐賀市 旧市町村史)
- ^ “佐賀玉屋レストラン街、歴史に幕 43年間、ごちそうさまでした”. 佐賀新聞 (2023年8月28日). 2023年8月28日閲覧。
- ^ a b 「佐賀玉屋 臨時株主総会で現在の株主が所有株式消却に同意」『NHK NEWS WEB』日本放送協会、2023年12月26日。2024年2月2日閲覧。
- ^ 『代表取締役社長 就任のお知らせ』(プレスリリース)株式会社佐賀玉屋、2024年2月1日 。2024年2月2日閲覧。
- ^ 【複合ビルに建替え】26年12月の開業目指す/佐賀玉屋本館 建設通信新聞(2024年2月19日付)