佐藤継成
佐藤 継成(さとう つぐなり、元亀元年(1570年) - 寛永11年4月3日(1634年4月30日))は、戦国時代・江戸時代の武士、旗本寄合席の井深佐藤氏初代。通称・勘右衛門、与兵衛。法名祖光[1]。美濃国加茂郡加治田村出身。父は佐藤堅忠。妻は佐藤忠能の娘、後妻に遠山筑前守の娘、一柳五郎四郎の娘[2]。子に佐藤成次、佐藤信成、佐藤吉成、娘(保田宗雪の妻)、娘(柘植宗次の妻)。
生涯
編集関ヶ原の戦いの後より徳川家康に仕え、慶長15年(1610年)9月25日に美濃国加茂郡において1000石を領する。大坂の役(大坂の陣)にも従い、その後に、徳川秀忠に仕えた。
元和3年(1617年)5月26日、2190石を加増され、美濃国加茂郡のほか大和国十市郡・摂津国武庫郡・島下郡・近江国高島郡内において3190石を領した[2]。
寛永8年(1631年)6月20日に日光山御宮造営奉行、7月2日に普請奉行に就任。10月23日に駿府町奉行に転じ、寛永11年(1634年)4月3日に駿府において死去。享年65[2]。墓は静岡県静岡市葵区伝馬町の宝泰寺にある。法名は普覺院殿性岳祖光居士。
知行所
編集逸話・子孫
編集- 佐藤氏系譜にて「女 伊深佐藤紀伊守堅忠ノ嫡男継成ノ室」と記載がある[3]。
書籍
編集- 静岡戦国武将墓巡り―家康ゆかりの武将たち 単行本 – 2011/12 岩堀 元樹 (著) ISBN 978-4-938138-93-6