佐藤照子
日本の教育者
佐藤 照子(さとう てるこ、1938年6月16日[1] - 2004年6月15日)は、日本の教育者。
さとう てるこ 佐藤照子 | |
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生誕 |
1938年6月16日 日本・東京都 |
死没 |
2004年6月15日(65歳没) 日本・埼玉県さいたま市大宮区 |
死因 | 脳梗塞 |
住居 | さいたま市大宮区上小町(2004年当時) |
国籍 | 日本 |
出身校 | 大妻女子大学 |
職業 | 教育者 |
配偶者 | 佐藤栄太郎 |
子供 | 佐藤孝司 |
概要
編集東京都中央区出身。大妻高等学校、大妻女子大学家政学部家政学科卒業[2]。夫は学校法人佐藤栄学園理事長の佐藤栄太郎(2008年死去)。息子は同学園の二代目理事長の佐藤孝司(2012年死去)。
結婚後は夫と共に学園運営に携わったほか、運営する学校の校歌や応援歌・賛歌の作詞をした。1996年11月14日に埼玉県知事に表彰、1997年12月1日に文部大臣に表彰される。2001年5月15日に藍綬褒章を受章[3]。
2004年6月15日に脳梗塞のため65歳で死去。同年7月18日に自身が校長を務めていた花咲徳栄高校で「学園葬」が執り行われた。葬儀委員長は元埼玉県知事の土屋義彦が務めた[4]。
脚注
編集関連図書
編集- 想いを語る : 佐藤照子遺稿集 佐藤照子 ほか著,佐藤栄太郎, 佐藤孝司, 佐藤照子先生を偲ぶ会 監修 小学館スクウェア, 2006