佐竹義倫
佐竹 義倫(さたけ よしとも)は、佐竹氏一門の佐竹北家第17代当主。佐竹北家角館第10代所預。
時代 | 江戸時代末期(幕末) |
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生誕 | 弘化5年(1848年) |
死没 | 万延元年8月4日(1860年9月18日) |
別名 | 主計(通称) |
主君 | 佐竹義睦→義堯 |
藩 | 出羽国久保田藩角館所預 |
氏族 | 佐竹東家→佐竹北家 |
父母 |
父:佐竹義祚、母:岩城隆喜の娘 養父:佐竹義許 |
兄弟 | 義寿、義倫 |
子 | 養子:義尚 |
生涯
編集弘化5年(1848年)、佐竹東家の当主佐竹義祚の次男として生まれる。幼名は輝吉、虎菊、通称は主計。
嘉永5年(1852年)、佐竹北家当主の佐竹義許が早世したため、その遺跡を相続する。実父の義祚は幼少の藩主佐竹義睦に代わり、藩政を主導していた。しかし、安政4年(1857年)、政争に敗れ蟄居を命じられて、隠居した。万延元年(1860年)8月4日、義倫は13歳で早世した。
佐竹北家の家督は文久2年(1862年)に藩主佐竹義堯の命で、江戸幕府旗本根来盛実(相馬樹胤の三男)の次男竹之助が相続した。
参考文献
編集- 林正崇『図説・角館城下町の歴史』無明舎出版、1982年