1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる[1]。
- 広島市
- 西区の一部(中広町、小河内町、山手町、竜王町、三滝本町、三滝山より北東および上天満町の一部)
- 安佐南区の大部分(東野・中筋・古市を除く)
- 安佐北区の一部(太田川以南および安佐町大字小河内)
古代の沼田郡(ぬたぐん)の領域は、現在の広島県三原市から竹原市にかけてであった。平安時代末期頃にほぼ全域が沼田荘になったため、郡としての意味をなさなくなり消滅、郡の大部分は豊田郡に編入された[2]。
なお、近世に「沼田郡(ぬまたぐん)」となる地域は古代には沼田郡ではなく佐伯郡の東部であった。佐伯郡は平安時代の末に佐東郡と佐西郡に分割された。
平安時代末期の佐伯郡東西分割によって成立した佐東郡が、1664年(寛文4年)に改称して沼田郡(ぬまたぐん)が成立した。1898年10月1日に高宮郡(旧称・安北郡)と統合し、安佐郡に移行した。こちらは現在、全域が広島市になっている。
- 明治初年時点では全域が安芸広島藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での村は以下の通り。(1町42村)
- 広島城下(一部)[3]、江波村、打越村、楠木村、新庄村、長束村、西山本村、東山本村、南下安村、北下安村、西原村、東原村、中調子村、温井村、八木村、緑井村、中須村、大町村、相田村、上安村、高取村、長楽寺村、伴村、大塚村、吉山村、阿戸村、久地村、小河内村、毛木村、後山村、宮野村、筒瀬村、広瀬村、観音村、川田村、船入村、水主町新開、吉島新開、六町目村、国泰寺村、竹屋村、江波新開[4]、白島村[5]
- 明治4年
- 明治11年(1878年)11月1日 - 郡区町村編制法の広島県での施行により、下記の変更が行われる。(34村)
- 広島城下・観音村・川添村・船入村・水主町新開・吉島新開・六町目村・江波新開・白島村・安芸郡大黒村・段原村・比治村・尾長村・大須賀村・大須新開・東新開・皆実新開および矢賀村の一部の区域をもって広島区が発足し、郡より離脱[6]。
- 残部に行政区画としての沼田郡が発足。「沼田高宮郡役所」が南下安村に設置され、高宮郡とともに管轄。
- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。全域が現・広島市。(15村)
- 三篠村 ← 楠木村、打越村、新庄村
- 長束村(単独村制)
- 山本村 ← 東山本村、西山本村
- 祇園村 ← 南下安村、北下安村
- 西原村、東原村(それぞれ単独村制)
- 川内村 ← 温井村、中調子村
- 八木村、緑井村(それぞれ単独村制)
- 安村 ← 大町村、中須村、相田村、上安村、高取村、長楽寺村
- 伴村 ← 伴村、大塚村
- 戸山村 ← 阿戸村、吉山村
- 久地村(単独村制)
- 日浦村 ← 毛木村、後山村、宮野村、筒瀬村
- 小河内村(単独村制)
- 国泰寺村・竹屋村・江波村・広瀬村が広島市の一部となる。
- 明治31年(1898年)10月1日 - 郡制の施行のため、「沼田高宮郡役所」の管轄区域をもって安佐郡が発足。同日沼田郡廃止。
- 沼田・高宮郡長
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
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1 |
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明治11年(1878年)11月1日 |
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明治31年(1898年)9月30日 |
高宮郡との合併により沼田郡廃止
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- ^ 住居表示実施地区の境界は未詳。
- ^ 沼田【ぬた】中世以来の一大干拓地 ジャパンナレッジ 日本歴史地名大系ジャーナル 2018年7月14日閲覧。
- ^ 安芸郡・沼田郡にまたがる。無高のため記載なし。本項では便宜的に1町に数える。
- ^ 記載は江波村新田。
- ^ 通称西白島村。東部は安芸郡に所属。
- ^ 明治15年に吉島新開および水主町新開の一部が合併して吉島村となる。水主町新開の残部が水主町に合併。江波新開が船入村に合併。六町目村が大手町の一部となる。白島村が白島東中町・白島北町・白島九軒町・東白島町・西白島町の各一部となる。