佐々木栄造
佐々木 栄造(佐々木 榮造、ささき えいぞう、1920年(大正9年)12月16日[1][2][注 1] - 2019年(令和元年)12月26日[3])は、昭和から平成時代前期の政治家。青森県五所川原市長。号に遠城。
経歴
編集青森県北津軽郡五所川原町(現五所川原市)出身[2]。五所川原農学校を経て、日本大学法学部、同大学大学院法学研究科修士課程修了[2]。1958年(昭和33年)日本青年団協議会長、1959年(昭和34年)青森県議会議員を経て、1962年(昭和37年)五所川原市長に当選[2]。公職選挙法違反で1966年(昭和41年)に一度は失職しながらも直ぐに復帰、1979年(昭和54年)に病気で市長から退くものの2代後の森田稔夫がリコールによって解職されたことに伴い1989年(平成元年)6月に12年ぶり市長に返り咲き。通算6期務めた[4]。1996年(平成8年)全国市長会副会長[2]。1997年(平成9年)6月の市長選で成田守に敗れて落選[4]。
著作
編集- 『赤い地平線 : 満鉄フラルキ農業修練所の実録』青森県文芸協会出版部、2003年。
- 佐々木遠城 著『土に立つ : 大陸開拓と満鉄フラルキ農業修練所の詩 : 詩集』青森県文芸協会出版部、2004年。
- 『布屋物語 : 津軽の総合商社 : 私家版』、2004年。
- 『乃古佐々木商店の記憶 : 私家版』、2007年。
脚注
編集注釈
編集- ^ 『現代政治家人名事典』205頁では12月19日生。
出典
編集- ^ 人事興信所 1975, さ15頁.
- ^ a b c d e 東奥日報社 2002, 886頁.
- ^ a b “元五所川原市長の佐々木榮造氏死去|訃報|速報|Web東奥”. 東奥日報社 (2019年12月29日). 2020年4月3日閲覧。
- ^ a b 日外アソシエーツ株式会社 1999, 205頁.
参考文献
編集- 人事興信所 編『人事興信録 第28版 上』人事興信所、1975年。
- 日外アソシエーツ株式会社 編『現代政治家人名事典』日外アソシエーツ、1999年。ISBN 481691529X。
- 東奥日報社 編『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。ISBN 4885610656。