伴弥嗣
伴 弥嗣(とも の いやつぐ)は、平安時代初期の貴族。参議・大伴伯麻呂の子[1]。官位は従四位下・越後守。
時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 天平宝字5年(761年) |
死没 | 弘仁14年7月22日(823年8月31日) |
別名 | 弥継 |
官位 | 従四位下・越後守 |
主君 | 桓武天皇→平城天皇→嵯峨天皇→淳和天皇 |
氏族 | 大伴宿禰→伴宿禰 |
父母 | 父:大伴伯麻呂 |
兄弟 | 弥嗣 |
経歴
編集桓武朝の延暦19年(800年)従五位下・大宰少弐に叙任される。
大同3年(808年)中務少輔、弘仁5年(814年)大蔵少輔と平城朝から嵯峨朝前半は京官を歴任する。その後、弘仁7年(816年)従五位上、弘仁13年(822年)正五位下と昇進する。
弘仁14年(823年)4月に淳和天皇の即位に伴って従四位下に叙せられるが、同年7月22日卒去。享年63。最終官位は越後守従四位下。
人物
編集歩射に非常に優れ、若い頃より鷹犬を愛好した。憎しみの心が強く、人を射ることも憚らなかった。晩年は心構えを改め、暴慢との評判は聞こえなくなったという[1]。
官歴
編集『日本後紀』による。