会津 壮麻呂(あいづ の おまろ / たけまろ[1] / おとこまろ、生年不詳 – 延暦8年(789年)5月)は、奈良時代の武人[1]。氏姓は丈部のち阿倍会津臣。
陸奥国会津郡の人物。神護景雲3年(769年)丈部庭虫らが丈部から阿倍会津臣に改姓しており[2]、この時に壮麻呂も改姓したか。延暦8年(789年)に征東大将軍・紀古佐美に従って進士(志願兵)として蝦夷征討に参加するが、陸奥国胆沢で蝦夷の首長・阿弖流為の率いる軍勢に敗れ、戦死した(巣伏の戦い)[3]。