伊集院兼善
幕末の薩摩藩士、明治期の内務官僚
伊集院 兼善(いじゅういん かねよし、1817年(文化14年) - 1883年(明治16年)3月5日[1])は、幕末の薩摩藩士、明治期の内務官僚。県令。
経歴
編集薩摩藩士・伊集院作平次の三男として生まれる[2]。
明治5年(1872年)頃、出納大属となる。1874年、鳥取県権参事に転じ、参事に昇格。1876年、高知県参事に転じ、さらに大書記官となる。1878年、内務少書記官に転じ社寺局で勤務した[1]。
1882年11月、高知県令に就任。前任の田辺輝実とは異なり、自由党の関係者を県庁、学校から排除し、県政に混乱をもたらした[2][3]。1883年3月、在任中に死去。