伊達宗衡
伊達 宗衡(だて むねひら)は、江戸時代後期の武士。陸奥国仙台藩一門第三席・水沢伊達家11代(留守氏28代)当主。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政11年9月21日(1799年10月19日) |
死没 | 慶応2年1月8日(1866年6月14日) |
改名 | 繁太郎(幼名)、景衡(初名)、宗衡 |
別名 | 小源吾、下総、将監 |
戒名 | 浄源院殿故将監清山宗栄公大居士 |
墓所 | 岩手県奥州市大安寺 |
主君 | 伊達斉宗、斉義、斉邦 |
藩 | 陸奥仙台藩 |
氏族 | 水沢伊達氏 |
父母 | 伊達村福、片倉村典娘 |
妻 | 中村景貞娘・以与子 |
子 | 愛姫、邦命、留守邦寧ら |
生涯
編集寛政11年9月21日、水沢伊達家10代当主・伊達村福の長男として水沢にて誕生。幼名は繁太郎、初名は景衡(かげひら)。
文化8年(1811年)閏2月、10代藩主・伊達斉宗の加冠で元服、その一文字を拝領して宗衡に改名。文政3年(1820年)5月、父・村福の隠居により家督と知行1万6000石を相続し、水沢邑主となる。同年領内巡察の11代藩主・斉義を水沢に迎える。天保2年(1831年)名(通称)を将監と改める。天保3年(1832年)、12代藩主・斉邦の帰国許可の謝使として江戸に下り、江戸城で11代将軍・徳川家斉と世子家慶に拝謁する。天保12年(1841年)大槻平泉門下の儒学者堀籠膽水の建議により、領内に郷校立生館を創立し、膽水を初代教授とした。[1]
嘉永5年(1852年)、家督を長男・邦命に譲り隠居する。慶応元年(1865年)8月邦命が先立って没したため、五男・景道(邦寧)が家督を相続した。慶応2年(1866年)1月8日死去。享年68。
系譜
編集脚注
編集出典
編集- 『留守系譜』