新大仏寺
三重県伊賀市富永にある真言宗智山派の寺院
(伊賀大仏から転送)
新大仏寺(しんだいぶつじ)は、三重県伊賀市富永にある真言宗智山派の寺院。山号は五宝山。本尊は盧舎那仏。
新大仏寺 | |
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大仏 | |
所在地 | 三重県伊賀市富永1238番地 |
位置 | 北緯34度46分11秒 東経136度16分43秒 / 北緯34.76972度 東経136.27861度座標: 北緯34度46分11秒 東経136度16分43秒 / 北緯34.76972度 東経136.27861度 |
山号 | 五宝山 |
宗派 | 真言宗智山派 |
本尊 | 盧遮那仏 |
創建年 | 1202年 |
開基 | 源頼朝 |
正式名 | 東大寺伊賀別所 新大仏寺 |
別称 | 伊賀成田山 |
文化財 | 木造如来坐像、木造俊乗上人坐像、木造僧形坐像、絹本著色興正菩薩像、板彫五輪塔(重要文化財) |
法人番号 | 8190005005919 |
歴史
編集この寺は、1202年(建長2年)源頼朝が後鳥羽法皇の勅願寺として開創、重源を開山として創建されたと伝えられる。重源は鎌倉時代に東大寺大仏と大仏殿の復興事業を指揮した僧として知られ、当寺は東大寺の伊賀別所となった。新大仏寺と称する所は重源上人が東大寺に敬意をはらって寺の名前に新の字を加えた。その後、長らく衰退し、戦国時代末期にはかなり酷い状態であった。1688年新大仏寺を訪れた松尾芭蕉はその様子を『笈の小文』や『伊賀新大仏之記』で記している。再建されたのは江戸時代中期の寛延年間(1748年 - 1751年)のことである。
文化財
編集本尊の木造如来坐像(像高4.05メートル)は、頭部が仏師快慶の作で、地元では「阿波の大仏さん」として知られている。松尾芭蕉は丈六にかげろふ高し石の上 の句を読み、その句碑も残されている。なお、芭蕉の故郷の伊賀では句碑ではなく芭蕉塚と呼ばれている。
重要文化財(国指定)
編集境内
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大仏殿
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新大仏寺境内の芭蕉塚
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白寿観音と慈母観音
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岩屋不動
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明王殿
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上人堂
脚注
編集- ^ 久野健編『新訂版 仏像巡礼事典』(山川出版社、1994)p.254