伊江朝義
伊江 朝義(いえ ちょうぎ、嘉靖17年(1538年) - 萬暦14年(1586年))は、琉球王国第二尚氏王統第四代国王尚清の第七王子。唐名は尚宗賢、童名 (琉球諸島・奄美群島)は金千代金。第二尚氏王朝の第四代国王尚清の七男。伊江御殿の元祖。嘉靖年間羽地間切総地頭職、その後伊江島総地頭職に転任。
系譜
編集- 父:尚清 (第二尚氏王統四代国王)
- 母:城之大按司志良禮・童名眞鶴金
- 室:伊江阿屋按司志良禮・童名眞加戸樽
- 長男:向種徳・伊江按司朝恒(嘉靖三十九年〜萬暦二十四年)
- 長女:君辻按司・童名眞鶴金(嘉靖四十年〜崇禎三年、號桂岳、向恭安・越来按司朝村室)
- 次女:眞宇志金(嘉靖四十三年〜萬暦三十年、豊國弼浦添親方元良室)
- 三女:眞鍋樽(隆慶二年〜萬暦二十一年、向萬祀・東風平按司朝易室)
- 次男:向文徳・伊江按司朝仲(兄朝恒の跡目)(隆慶六年〜)
- 朝仲室:思戸金(向宗文・具志頭按司朝受女)
- 朝仲継室:思乙金(鄭迵・謝名親方利山女、〜康煕十四年)