伊東祐由
伊東 祐由(いとう すけみち)は、江戸時代前期の大名。日向国飫肥藩の第4代藩主。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永8年1月18日(1631年2月18日) |
死没 | 寛文元年6月13日(1661年7月9日) |
改名 | 藤松丸(幼名)、祐由 |
別名 | 祐次 |
官位 | 従五位下左京亮 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱 |
藩 | 日向飫肥藩主 |
氏族 | 日向伊東氏 |
父母 | 父:伊東祐久、母:滝川法直娘 |
兄弟 | 祐由、祐春、祐実ら |
妻 | 正室:姉小路公景娘 |
子 |
分部信政正室 養子:祐実 |
略歴
編集第3代藩主・伊東祐久の長男として江戸にて生まれた。承応2年(1653年)12月28日、従五位下・左京亮に叙任される。父・祐久の死去により、明暦3年(1657年)12月27日に家督を継いだ。このとき、弟・祐春に3000石を分与した。祐春は表向御札衆交代寄合となる。
男子に恵まれなかったため、弟・祐実を養嗣子とした。寛文元年(1661年)6月13日、31歳で死去。家督は祐実が継いだ。
系譜
編集父母
正室
- 姉小路公景の娘
子女
- 分部信政正室
養子
- 伊東祐実 ー 実弟