伊東祐民
伊東 祐民(いとう すけたみ)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。日向国飫肥藩11代藩主。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 寛政4年2月22日(1792年3月14日) |
死没 | 文化9年6月29日(1812年8月6日) |
戒名 | 泰梁院通峯玄津 |
官位 | 従五位下修理大夫 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 日向飫肥藩主 |
氏族 | 日向伊東氏 |
父母 | 父:伊東祐鐘、母:稲葉弘通娘 |
兄弟 | 祐民、祐丕 |
妻 | 正室:浅野重晟娘 |
子 |
祐相 養子:祐丕 |
略歴
編集第10代藩主・伊東祐鐘の長男として誕生。寛政10年(1798年)、父の死去により家督を継ぐ。植木方の野中金右衛門が取り組んだ飫肥杉の植林指導が功をなし、飫肥藩の財政を立て直した。また、学問所を設置して学問の奨励を行い、この時代に安井息軒の父親が学んでいる。
系譜
編集父母
正室
- 為 ー 浅野重晟の娘
子女
- 伊東祐相(長男)生母は為(正室)
養子
- 伊東祐丕 ー 実弟