仙台朝市
仙台朝市(せんだいあさいち)は、宮城県仙台市青葉区中央にある、平日昼間に営業している常設市場である。「仙台の台所」とも呼ばれる[1][2]。一般的な朝市は、仮設で休日の早朝から昼前まで営業をするが、仙台朝市は常設で平日の朝から夕方まで営業をしている。仙台駅、仙台駅西口バスプールなど、仙台の公共交通機関のターミナルに隣接し、市街地のビルの谷間にありながら、古い市場の風情を残しているため、観光地としても紹介される[3]。2020年現在、約70店舗が仙台朝市商店街振興組合に加盟している[2]。
立地・店舗
編集仙台朝市は東日本旅客鉄道の仙台駅から徒歩5分の場所にある[4]。南町通の1本南を並走する市道中央三丁目1号線[注釈 1] のうち、東三番丁を西端(北緯38度15分30.4秒 東経140度52分40.1秒 / 北緯38.258444度 東経140.877806度)、東四番丁を東端(北緯38度15分31.4秒 東経140度52分44.3秒 / 北緯38.258722度 東経140.878972度)とする幅員の狭い道路が「朝市通り」(Google マップ)と呼ばれている。この通りの両側には中低層ビルが並んでおり、それらの1階の通り側には壁が無く、オーニングを出した路面店が並んでいる。さらに路面店の後ろ側にも通路が延び、ビルの1階に他店舗がテナントとして入居しているビルもある。仙台朝市は、この「朝市通り」に面する路面店およびテナントにより構成される。
仙台朝市には鮮魚、青果、精肉などの生鮮食品店、豆類、穀物の専門店、漬物、乾物、かまぼこ、豆腐などの加工食品専門店、朝鮮料理食材店、惣菜屋、団子屋、飲食店、ラーメン屋、生花店など約70店が集まっている。中低層ビルの2階より上や地下階は、事務所や会議室、音楽スタジオ[5][6]、カルチャーセンター、美容院、飲食店、マンションなどに使われている[7][8][9][10]。仙台朝市にある店舗は「仙台朝市商店街振興組合」 に加盟している。仙台朝市の中には、飲食店、ホテル、あるいは八百屋や魚屋などに卸売している店舗が見られる。卸売をしている店舗では、自社の配送センターを仙台朝市に設置している例と、別の離れた場所に設置している例が見られる。また、仙台朝市内に小売店舗を複数設けている店や、仙台朝市の小売店舗のほかに仙台市内などにチェーンストアを展開している店も見られる。
仙台朝市の一角を占める新仙台駅前ビル(北緯38度15分31.6秒 東経140度52分43.2秒 / 北緯38.258778度 東経140.878667度)[注釈 2] は、通称「仙台朝市アメ横ビル」、「仙台アメ横ビル」、「仙台アメ横」と呼ばれている。ここには職人気質の店がある[11] 一方、飲食店、趣味性の高い衣料品・雑貨の店、アキバ系店舗などが入居している。
歴史
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初期の仙台朝市の様子[12][13] | |
昭和20年代半ば … 青空市場時代 | |
昭和28年頃 … 青空市場時代 | |
昭和32年頃 … 店舗営業に変化 | |
昭和32年頃 … 店舗営業に変化 |
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東日本大震災発生後の仙台朝市の様子 | |
2011年3月12日8時30分撮影 | |
2011年3月17日撮影 |
戦後の日本各地には闇市が発生し、進駐軍の統制下で、それが公設市場やマーケットと呼ばれる商業施設へ変遷した。仙台空襲で焼け野原になった仙台では、1946年(昭和21年)に東一番町から南光院丁にかけて東一公設市場が開設され、この他にも仙台には青葉マーケット、駅前マーケット、日吉マーケット、仙台銀座・総合マーケット、榴ヶ岡公園総合マーケットなどが存在した[14]。
仙台朝市の始まりは1948年(昭和23年)に興った「青空市場」とされる[2]。戦争に伴う失職者や引揚者が集まってここで商売をしていたという[15]。かつぎ屋(行商)が集まって朝だけ商売をし、午後には無くなってしまうため、この市場は「かげろう市場」とも呼ばれた[15][16]。卸売店が仙台市中央卸売市場に集約され、小売店がスーパーマーケットの出現と人口のドーナツ化現象が影響して、かつての生鮮食品市場は飲食店街に衣替えしたり、再開発されたりした[17]。その中で、仙台朝市は生鮮食品市場として残り続けた。
1985年(昭和60年)に「仙台朝市通り商店街連合会」が発足し、商店街としての初めて組織化が行われた。1992年(平成4年)には「仙台朝市商店街振興組合」へ発展した[2]。2008年(平成20年)10月16日から18日にかけては「青空市場より おかげさまで60周年記念 感謝のつどい」が実施された[18]。2011年(平成23年)3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の後、12日に一部の店舗が営業を再開すると、食料を求める数百メートルの列が発生した[19][20]。その後、次々と店舗は再開し、被災地での炊き出しや復興市へも参加した[21]。2017年(平成29年)には仙台朝市の一角の「東四市場」がリニューアルオープンした[22]
集客・客層
編集午後から夕方にかけて一般客が多く、「夕市」の方が実態に合っているとも言える。2008年(平成20年)3月14日には、「朝市の夕市」が初めて開催された[23]。集客力は1日1万人と言われ、特に年末には正月準備の買物客でごった返す。
東北学院大学が2015年(平成27年)10月および2016年(平成28年)2月に、仙台朝市の買い物客(計219人)に聞き取り調査をした結果、主婦と並んで飲食店経営者の客が多く、そのほかにサラリーマンや若者も少なからず買い物をしており、外国人客も見られた[24]。また、乗用車のほか、地下鉄やバスでアクセスしている者が多かった[24]。地下鉄仙台駅やバスプールに隣接している立地が影響していると見られるが、JR線利用者の買い物客は少なかった。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ (20) 仙台朝市/「何か食料を」連日の列(河北新報「震災せんだい 3.11記憶と一歩」 2011年6月29日)
- ^ a b c d “仙台朝市商店街振興組合”(仙台朝市商店街振興組合)2020年7月1日閲覧。
- ^ Attractions(仙台市)
- ^ “アクセスマップ”. 仙台朝市商店街振興組合. 2020年7月1日閲覧。
- ^ 練習会場(仙台合唱団)
- ^ 仙台ロシア合唱団
- ^ 朝市ビル(ゼンリンデータコム「いつもNAVI」)
- ^ 新仙台駅前ビル仙台朝市アメ横ビル(ゼンリンデータコム「いつもNAVI」)
- ^ マルサンビル(ゼンリンデータコム「いつもNAVI」)
- ^ 前原ビル(ゼンリンデータコム「いつもNAVI」)
- ^ 仙台まちかど技めぐり(NHK仙台放送局「東北Z」。2007年10月26日東北地方ブロックネット放送)
- ^ コンセプト(有限会社武田青果)
- ^ ギャラリー(今庄青果)
- ^ 『仙台市史』通史編8(現代1)208-210頁。
- ^ a b 『仙台八十八景』48頁。
- ^ 都市の風景「仙台学の誕生・界隈の魅力」~地域誌『仙台学』の現場から~(東北芸術工科大学 2006年7月18日)
- ^ 第9回 街中の路地とその郷愁(経済産業省東北経済産業局「東北21 せんだい遊歩 -変わる消費と集客のからくり-」)
- ^ いよいよ「60周年感謝のつどい」(仙台朝市ブログ 2008年10月15日)
- ^ “被災者のために開け! 仙台朝市の商売魂”. ミヤテレ. (2012年3月10日)
- ^ “<戦後70年 私は今> (2) 心意気 震災時も示す”. 河北新報. (2015年4月17日)
- ^ 東日本大震災における仙台市の商店・事業所の支援活動事例集 (PDF) (仙台市 2014年3月24日)
- ^ “<仙台朝市>市民の台所お色直し”. 河北新報. (2017年4月26日)
- ^ 組合事務所です。(仙台朝市ブログ 2008年3月10日)
- ^ a b c d <仙台東西線>仙台朝市買い物客17%が利用(河北新報 2016年03月29日)
参考文献
編集- 仙台市史編さん委員会 『仙台市史』通史編8(現代1) 仙台市、2011年。
- 佐々久(監修) 『仙台八十八景』 宝文堂、1977年。
関連項目
編集外部リンク
編集- 仙台朝市どっとこむ!(仙台朝市商店街振興組合)
- 仙台朝市ブログ
- 日本ニュース - ウェイバックマシン(2017年4月2日アーカイブ分)(NHK)… 1940年(昭和15年)から1951年(昭和26年)まで制作されたニュース映画。闇市の様子が見られる。