仏眼清遠
仏眼清遠(ぶつげん せいおん、治平4年(1067年) - 宣和2年(1120年))は、宋で活動した臨済宗楊岐派の禅傑である。楊岐下4世。
仏眼清遠 | |
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治平4年 - 宣和2年 (1067年 - 1120年) | |
尊称 | 仏眼禅師 |
生地 | 邛州臨邛県 |
宗派 | 臨済宗楊岐派 |
寺院 | 天寧万寿寺、龍門寺、和州褒山寺 |
師 | 五祖法演 |
弟子 |
西禅文璉、竹庵士珪、雪堂道行 白楊法順、牧庵法忠、雲居法如 高庵善悟、正堂明辯、眞牧正賢 三聖道方、給事馮楫、成都世奇 雲居 祖、方広 深、浄居尼恵温 |
治平4年(1067年)に邛州臨邛県で誕生した。俗姓は李氏。元豊3年(1080年)に出家し、律と法華経を学んだ後、禅の道に入る。江淮地方を行脚して舒州大平寺の五祖法演の許に至り、嗣法した。天寧万寿寺を初めてとして、龍門寺ならびに和州褒山寺の住持を務め、仏眼禅師の勅号を得た。宣和2年(1120年)冬至前日に示寂。法嗣は西禅文璉・竹庵士珪・雪堂道行ら15名を数える。語録として仏眼禅師語録が伝わる。圜悟克勤や仏鑑慧懃と並んで東山の三仏と称えられた。
参考文献
編集- 禅学大辞典編纂所 編 『新版 禅学大辞典』p.641 1985年
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