今戸神社
今戸神社(いまどじんじゃ)は、東京都台東区今戸一丁目にある神社。
今戸神社 | |
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鳥居 | |
所在地 | 東京都台東区今戸1丁目5-22 |
位置 | 北緯35度43分09.50秒 東経139度48分12.70秒 / 北緯35.7193056度 東経139.8035278度座標: 北緯35度43分09.50秒 東経139度48分12.70秒 / 北緯35.7193056度 東経139.8035278度 |
主祭神 | 応神天皇、伊弉諾尊、伊弉冉尊、福禄寿 |
社格等 | 村社 |
創建 | 康平六年(1063年)[1] |
別名 | 今戸八幡 |
札所等 | 浅草名所七福神、下町八福神 |
例祭 | 6月第一土日 |
地図 |
祭神
編集由緒
編集今戸神社は、康平6年(1063年)源頼義・義家親子が奥州討伐の折、京都の石清水八幡宮を当地に勧進し、祈願したのが始まりであるといわれている[1]。また永保元年(1081年)にも清原武衡・家衡討伐の際に当地を通り、戦勝祈願をしたといわれている。大正12年(1923年)9月1日の関東大震災や太平洋戦争の際、米軍の爆撃機B-29が昭和20年(1945年)3月10日に焼夷弾を投下したり(東京大空襲)など数々の戦乱や火災に見舞われたが、その都度再建され、現在の社殿は1971年(昭和46年)に再建されたものである。1937年(昭和12年)には隣接していた白山神社を合祀し、今戸八幡と呼ばれていた当神社が現在の今戸神社と呼ばれるようになった。また現在では浅草七福神のひとつ福禄寿も祀っている。
招き猫発祥の地
編集戦前またはそれ以前に遡っての古文献には、招き猫の発祥と当社に関する文献上の記録や言い伝えは確認されておらず、招き猫と当社との結びつきを示すものはない。近年になって招き猫発祥の地のひとつとして縁結びと結びつけ自ら名乗りをあげている[注釈 1]。
江戸時代の地誌『武江年表』または日記『藤岡屋日記』の嘉永5年(1852年)の記述によれば、浅草花川戸に住んでいた老婆が貧しさゆえに愛猫を手放したが、夢枕にその猫が現れ、「自分の姿を人形にしたら福徳を授かる」と言ったので、その猫の姿の人形を今戸焼の焼き物にして浅草寺境内三社権現(現浅草神社(三社様)鳥居横で売ったところ、たちまち評判になったという(今戸焼または丸〆猫参照)。
これが今戸神社が自ら招き猫の発祥と名乗る論拠であるが、同史料は浅草寺や浅草神社に由来するものとしての記録であり、今戸神社(旧今戸八幡)との結びつきを示すものではない。平成の招き猫ブームのと縁結びパワースポットのブームに乗り、今戸神社は自ら招き猫発祥の地として看板を掲げるようになり、多くの招き猫が奉られるようになったが、本殿や境内に安置されている招き猫の形状は江戸明治期の今戸焼の招き猫とは何ら関係のないものであり、考証的には伝統的なものとは全く関わりのない、平成の産物として見る必要がある。なお、本殿に祀られている大型の招き猫や社務所から授与されている土焼き製、磁器製の招き猫ともども形状は、戦後の常滑産招き猫の造形から影響を受けたものと考えられる。
沖田総司の終焉の地
編集当神社は幕末の著名人である新選組の沖田総司の終焉の地である、と主張しており、神社は境内にその旨を記した碑を建立している。これは、当時結核を患っていた沖田を診ていた松本良順が、当時今戸神社を仮の住まいとしていた、とすることからきている。また、新撰組隊士の永倉新八が沖田は松本宅で死亡、と書き残している。ただし当時永倉は江戸に居らず、推測または伝聞で記したものである。
現在の有力な史料においては、沖田は今戸八幡神社に間借りしていた松本の手引きにより、千駄ヶ谷の植木屋の柴田平五郎宅の納屋に匿われており、同地で死亡した、とするのが定説である。
縁結びの神
編集戦前合祀された白山神社の祭神に伊弉諾尊・伊弉冉尊の夫婦の神を祀っていることから、近年になって縁結びにゆかりがあるとアピールされている。また、絵馬は他の神社では見られない「真円形」のデザインの絵馬である。これは縁と円の語呂を掛け合わせたモダンなデザインのものとなっている。
祭事
編集縁結び会について
編集縁結びの神様を御祭神に祀っていること(伊弉諾尊・伊弉冉尊)もあり、地元氏子等から良縁を求める声が今戸神社に寄せられることが多かった。2008年(平成20年)10月26日から宗教活動の一環として「縁結び会」を不定期に開催している。
氏子地域
編集その他・逸話
編集交通アクセス
編集- 浅草駅より徒歩約15分。
- 浅草駅から台東区循環バスめぐりん「北めぐりん」、または都営バス東42乙系統に乗車し、リバーサイドスポーツセンター前停留所下車・徒歩1分。または浅草駅などより都営バス東42甲系統・浅草七丁目より徒歩3分。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b 江戸名所図会 1927, p. 560.
- ^ “神谷さんと井上さんが『続 夏目友人帳』のヒットを祈願して黒ニャンコ先生を奉納”. 電撃オンライン (電撃ドットコム). (2009年1月5日) 2010年3月29日閲覧。
- ^ “招き猫の聖地“今戸神社”で「夏目友人帳」がヒット祈願!”. ascii.jp×ゲーム・ホビー (ascii). (2008年07月14日 18時57分更新) 2010年3月29日閲覧。
- ^ “夏目友人帳:闇夜に“黒ニャンコ” 招き猫発祥・今戸神社に奉納”. まんたんウェブ (毎日新聞社). (2009年1月6日) 2010年3月29日閲覧。
参考文献
編集- 斎藤幸雄「卷之六 開陽之部 今戸八幡宮」『江戸名所図会』 3巻、有朋堂書店、1927年、555,560-561頁。NDLJP:1174157/282。