今城 尚子(いまき ひさこ、天保10年10月23日1839年11月28日) - 慶応3年7月24日1867年8月23日))は、孝明天皇典侍。父は権中納言甘露寺愛長。母は今城定成の娘忠子または綱子。兄弟は甘露寺勝長、杉浦謙、隅田穂並、竹園用長堤功長中川興長。また、従姉は同じく孝明天皇に仕える典侍である今城重子

生涯

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1854年嘉永7年)に孝明天皇の後宮に近侍し、後に別当典侍となる。

孝明天皇の崩御後、薙髪し、蓮體院と号する[1]

1867年8月23日慶応3年7月24日)死去。享年29。墓所は京都府京都市三宝寺[2]

脚注

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  1. ^ 女房一覧 江戸時代後期(4) 仁孝天皇―孝明天皇 −后妃・女房きろくどころ−
  2. ^ 「日本人名大辞典」(講談社