仁位宗香
南北朝時代の武将
時代 | 南北朝時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 正平24年/応安2年(1369年)3月[1][2] |
別名 | 頼次、宗香御坊、桜町御坊[1]、弾正忠[2] |
氏族 | 仁位中村宗氏 |
父母 | 父:宗盛国[1][2] |
兄弟 | 宗経茂、宗香[2] |
子 | 宗澄茂 |
経歴
編集正平4年/貞和5年(1349年)兄の宗経茂の命により対馬の守護代となり、大宰府から下県郡仁位村中村に移る[2]。山林の乱伐を禁じ、正平17年/貞治元年(1362年)には二分五厘物成を実施し民政の安定に尽くした[2]。没後、島民は功を称え地主社を建て、後胤の満茂は応永25年(1418年)清玄寺を建て菩提寺とした[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 安田元久 編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、1985年。ISBN 4404013027。
- 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。