人民裁判
ウィキメディアの曖昧さ回避ページ
人民裁判(じんみんさいばん)とは、
- 法律によらず私的に断罪すること。しばしば集団の圧力で行われる吊し上げのことをいう。とくにこの意味では、日本においては、アジア太平洋戦争後のシベリア抑留者間で起こった、主に共産主義思想家や下級兵士らによる、彼らの反感や憎しみを買った高級将校らの非難・糾弾を主とした吊し上げのことを指すことが多い。今日では殆ど忘れかけられているが、この意味で「カンパ」という言葉も当時用いられた。
- 社会主義国家で、職業裁判官と人民の中から選ばれた代表とが同資格でおこなう裁判。中国の人民法院における裁判がこれに相当する。制度設計としては日本で2009年から実施された裁判員制度と類似しているが、日本の裁判員は案件ごとに有権者名簿から選任されるのに対して、中国の人民陪審員は任期制であり任期は5年。選任は各管轄地区の人民代表大会から選定され人民陪審員に任命される方式である。また「陪審員」といっても「裁判員」(職業裁判官)と同等の権限を持って審理に参加するものであり、また人民陪審員だけの合議体で裁判をするわけではなく、実態は「参審員」である。人民代表大会(事実上の中国共産党地方大会)の影響下にあることは指摘されており、中国の司法体制の特異性としてしばしば論題とされる。詳しくは中華人民共和国法参照。
- ソビエトにおいてはНародный судが人民裁判と訳され、日本における第一審裁判所の役目をしていた。制度は十月革命直後の1917年から始まり1996年の司法制度改革により廃止されるまで続いた。
備考
編集クーデター直後の民衆による臨時政権下では、人民裁判の下した結果が過剰な処刑活動などに転じる例がままある。共産主義政権及び共産ゲリラが反対勢力や資産家を拘束して人民裁判にかけて処刑し、財産を没収するということも多い(例=長征など)。罪刑法定主義・責任主義やデュープロセスといった、刑事嫌疑者に対する人権的配慮がない場合が少なくない。
それまで政権を執っていた独裁政権の首謀者を銃殺し、あまつさえテレビメディア等を通じて全世界に発信する(例=ルーマニア革命)といった、残虐行為が正当と認められることもあった。
個人によっては、ときに一般常識から大きく逸脱し社会的なコントローラビリティに著しく欠ける、人民裁判の下した判決に嫌悪を持つこともあるとされる。