京都大水害
京都大水害(鴨川大洪水)とは[1][2]、1935年(昭和10年)6月下旬に京都で発生した大規模な水害のことである[注 1]。死傷者164名、浸水家屋50,140戸、全壊半壊・流出家屋590戸という甚大な被害となった[3]。なお、京都水害は前述および同年8月の水害の総称としても使用される。
発災日時 |
1935年6月28日〜6月29日 |
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被災地域 | 京都 |
災害の気象要因 | 梅雨前線による大雨 |
人的被害 | |
死者 |
12人 |
負傷者 |
71人 |
建物等被害 | |
全壊 |
35棟 |
半壊 |
260棟 |
床上浸水 |
12,335棟 |
床下浸水 |
30,954棟 |
概要
編集→鴨川大洪水については「鴨川 (淀川水系) § 昭和の鴨川水害」を参照
1935年6月26日から30日にかけて、梅雨前線の影響で西日本を中心に大雨となり(昭和10年6月豪雨)[4][5]、各地で被害が続出した[注 2]。京都では、6月27日から29日にかけて記録的な豪雨となり[注 3]、鴨川などの河川が次々と氾濫し[注 4][注 5]、多数の橋梁が流出した(例えば、上賀茂・御薗・団栗・松原・夷川・五条・二条各橋は29日午前3時40分からの5時間以内に流失、三条大橋は東側一部が流出した)[9][10]。この水害を契機として、河川改修などが進められた[7][11][12]。
被害
編集昭和10年6月豪雨による被害 (全国)[4] | |
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死者 | 147名 |
行方不明者 | 9名 |
負傷者 | 283名 |
住家の損壊 | 2,041棟 |
住家の浸水 | 232,202棟 |
京都大水害による被害 (京都)[8][7][1] | |
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死傷者 | 83名[注 6] |
家屋流出 | 187棟 |
家屋全半壊 | 295棟 |
床上床下浸水 | 43,289棟 |
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f 谷端郷『昭和戦前期の京都市における風水害に伴う被災社寺の分布とその特徴 (1934年室戸台風による風害と1935年京都大水害の事例) (PDF) 』CRID 1390010457666661120
- ^ 植村善博. “昭和10年京都大水害の復元的研究 : 『平成20年度京都市防災危機管理対策調査研究助成』報告書”. CRID 1130282271498037632. 2023年2月5日閲覧。
- ^ “昭和10年 京都大水害”. 京都市消防局. 2023年2月5日閲覧。
- ^ a b 国立天文台『理科年表 2021年』丸善、348頁。ISBN 978-4-621-30560-7。
- ^ 鉄道と災害の歴史 (PDF) - 一橋大学鉄道研究会 (43ページ)
- ^ a b 小倉一徳編、力武常次+竹田厚監修「日本の自然災害>第Ⅱ章 記録に見る自然災害の歷史>4 昭和時代前期の災害>昭和時代前期の主要災害一覧 167頁:西日本・近畿・中部地方水害」、久留米市史編さん委員会編「久留米市史・第3巻>第十三章 筑後川の治水と利水>第一節 近代治水事業の軌跡>一近代における洪水と災害 952頁~958頁:昭和時代の洪水」 [1]
- ^ a b c 千年の都と鴨川治水 (PDF) - 京都府
- ^ a b “昭和10年の鴨川大洪水とその後の治水対策について”. 京都府. 2023年2月5日閲覧。
- ^ 「鴨川・まちと川のあゆみ」、NPO法人京都景観フォーラム、2013年2月3日。
- ^ “三条大橋の歴史(京都大水害から現在の姿まで)”. 京都市情報館. 2023年2月5日閲覧。
- ^ 谷川陸 林倫子 山口敬太 川崎雅史「京都大水害後の鴨川改良計画における中流断面及び東岸遊歩道路の風致設計」『土木学会論文集D2(土木史)』第78巻第1号、2022年、59–75頁、doi:10.2208/jscejhsce.78.1_59。
- ^ 植村善博『1935年の京都大水害と鴨川の改修事業』CRID 1520853832266870528
- ^ “実は暴れ川、京都を流れる「鴨川ならではの難しさ」…壁のような堤防だと歴史ある街を分断”. 読売新聞オンライン (2022年1月21日). 2023年2月5日閲覧。
関連項目
編集- 室戸台風 - 前年の台風。関西に甚大な被害を出した。