京極高文

日本の江戸時代後期の大名。讃岐多度津藩2代藩主京極高慶六男で、多度津藩3代藩主(多度津京極氏3代当主)。従五位下壱岐守。駿河加番を勤めた

京極 高文(きょうごく たかふみ)は、讃岐多度津藩の第3代藩主。多度津藩京極家3代。

 
京極 高文
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦3年6月20日1753年7月20日
死没 寛政8年10月14日1796年11月13日
改名 内膳(幼名)、高文
別名 高英、高武(別名)
戒名 良俊院殿英山道雄大居士
墓所 東京都港区南麻布の光林寺
官位 従五位下壱岐
幕府 江戸幕府
讃岐多度津藩
氏族 京極氏
父母 父:京極高慶、母:黒田直純の娘
兄弟 高明、軽三郎、高文黒田治高
高賢、好之助、千勢姫(毛利高明室)、娘(五島運竜正室)、娘(大島義徳室)、娘(大久保忠晦正室)
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人物

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宝暦3年(1753年)6月20日、第2代藩主・京極高慶の六男として江戸屋敷で生まれる。宝暦6年(1756年)に父が死去したため、家督を継いだが、幼少のために京極主殿の補佐を受けた。明和6年(1769年)12月18日に従五位下・壱岐守に叙位・任官する。

寛政4年(1792年)9月に駿府加番に任じられる。寛政8年(1796年)7月5日、家督を長男・高賢に譲って隠居する。3ヵ月後の10月14日、江戸麻布の鳥居坂屋敷で死去した。享年44。