京井秋行
日本の野球選手 (1920-1944)
この記事の主題はウィキペディアにおける人物の特筆性の基準を満たしていないおそれがあります。 (2016年9月) |
京井 秋行(きょうい ときゆき、1920年 - 1944年12月9日) は、日本の元アマチュア野球選手。早稲田大学野球部で遊撃手として活躍した人物である。大阪府出身。
来歴・人物
編集浪華商業(現・大阪体育大学附属中学校・浪商高等学校)在学中に投手及び三塁手として、1938年春の大会ではチームのベスト8進出に貢献。この大会では優秀選手賞を受賞した。
1940年早稲田大学に入学、東京六大学リーグ戦でも遊撃手として活躍した。しかし応召され、中国に出征。1944年12月9日、中国湖南省の野戦病院で戦病死した。享年24。東京ドーム内の野球殿堂博物館にある戦没野球人モニュメントに、彼の名前が刻まれている[1]。
脚注
編集外部リンク
編集- 戦没野球選手慰霊(沢村栄治記念館のページ)※京井秋行の項がある。