井狩彌治郎

日本の実業家 (1905-1999)。大丸社長

井狩 彌治郎(いかり やじろう、1905年(明治38年)3月1日 - 1999年(平成11年)7月19日)は、昭和期の実業家大丸社長を務めた。

いかり やじろう

井狩 彌治郎
生誕 (1905-03-01) 1905年3月1日
日本の旗 日本滋賀県
死没 (1999-07-19) 1999年7月19日(94歳没)
出身校 慶應義塾大学経済学部
職業 実業家
子供 井狩彌介(三男)
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経歴

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滋賀県出身。膳所中学校(現・滋賀県立膳所高等学校)時代は野球部に所属。慶應義塾大学経済学部を経て、同大学院修了後の1931年に大丸入社。

常務、専務、副社長を経て、1963年に社長に就任し21年間在任した。その間にはパリシンガポールなど海外出店を積極的に進め、1984年に相談役に退いた。

1974年から2年間にわたり日本百貨店協会会長、1970年から19年間にわたり社団法人大阪工芸協会会長を歴任。毎日放送取締役なども務めた。

親族

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妻の祖父に明治の文人・キリスト者の上田貞治郎があり、妻の叔母にファッションデザイナー上田安子上田安子服飾専門学校創設者)がいる。京都大学名誉教授でインド哲学の井狩彌介は三男である。

先代
北沢敬二郎
大丸社長
第4代:1963年 - 1984年
次代
下村正太郎