井原 勇(いはら いさむ、1926年大正15年〉11月17日[1] - 2007年平成19年〉10月7日)は、日本政治家与野市長(第8代 - 第12代〈最終〉)。さいたま市長職務執行者。

井原 勇
いはら いさむ
生年月日 1926年11月17日
出生地 埼玉県北足立郡与野町(現:さいたま市中央区
没年月日 (2007-10-07) 2007年10月7日(80歳没)
死没地 埼玉県さいたま市
出身校 東京大学工学部
前職 与野市収入役
所属政党 無所属
称号 勲三等瑞宝章
正五位
さいたま市名誉市民
親族 兄・井原弥一郎(埼玉県議会議員)

在任期間 2001年5月1日 - 5月26日

第8-12代 与野市長
当選回数 5回
在任期間 1983年5月1日 - 2001年4月30日
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生涯

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埼玉県北足立郡与野町(現さいたま市中央区)出身。旧制浦和中東京大学工学部を卒業後、新潟鐵工所に入社。新潟コンバータ取締役や大宮工場長を経て、1979年に与野市の収入役に就任した。1983年白鳥三郎の事実上の後継指名を受け市長選挙に出馬し、第8代与野市長に就任した。その後5期18年、さいたま市として合併するまで市長を在任した。

篤実な人物で、2001年5月の合体合併によるさいたま市設置に際しても、浦和方と大宮方の仲介役として、さいたま市の誕生に大きな役割を果たした。井原はさいたま市長選挙には出馬せず、合併直後の選挙で相川宗一が選出されるまでの短期間であるが、調整役としての手腕と中立性を評価され、さいたま市長職務執行者(期間限定の代理市長)に就任した。市長職務執行者の期間満了とともに政界を引退。

2002年4月29日、勲三等瑞宝章を受章。2003年4月1日、さいたま市名誉市民として顕彰される。2007年10月7日、肺炎のため、さいたま市内の病院で死去。80歳。死没日をもって従四位に叙される[2]

県市長会会長、県資産経営協会長等を歴任した。没後の2008年には中央区役所玄関にブロンズ像が建立された。

脚注

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  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、100頁。
  2. ^ 『官報』第4709号10頁 平成19年11月14日号

関連項目

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