井伊直惟
井伊 直惟(いい なおのぶ)は、近江彦根藩の第9代藩主。井伊直弼の曾祖父。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄13年5月1日(1700年6月17日) |
死没 | 元文元年6月4日(1736年7月12日) |
改名 | 金蔵(幼名) |
戒名 | 泰源院海印指光 |
墓所 | 滋賀県彦根市の清涼寺 |
官位 | 左少将、掃部頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家継→吉宗 |
藩 | 近江彦根藩主 |
氏族 | 井伊氏 |
父母 | 父:井伊直興、母:田山氏 |
兄弟 | 直通、直恒、直矩、直惟、直定 |
妻 |
正室:蜂須賀綱矩の娘 側室:梅原氏 |
子 |
直禔(次男)、直幸(3男)、娘(阿部正允正室)、娘(藤井松平忠順正室)、娘(印具咸重室)、娘(木俣守融室) 養子:直定 |
家系
編集生涯
編集父の直興は直惟の誕生後まもなく隠居したが、家督を継いだ直惟の2人の兄の直通と直恒が次々と早世したため、直興(直該と改名)が再度藩主になった。正徳4年(1714年)2月15日に直惟が15歳まで成長したため直該は再び隠居し、直惟が藩主となった。質素倹約を推進し、武芸奨励と市井の視察を兼ねて大規模な鷹狩りを好んで行なった。また文化にも造詣が深く、絵画や詩文を残し、寺社への寄進も積極的に行っている(近江永源寺の能舞台など)。彦根城の石垣の改修も成された。
第8代将軍徳川吉宗の世子の徳川家重の加冠の役を務めたが、病身を理由に一度は固辞しようとしている。兄達同様生来病弱であり、享保20年(1735年)5月9日に病気療養を理由に家督を弟の直定に譲り、江戸を去った。そして元文元年(1736年)6月4日、37歳で死去した。
経歴
編集※日付=旧暦