井上頼圀
日本の国学者
(井上頼囶から転送)
井上 頼圀(いのうえ よりくに、天保10年2月18日(新暦1839年4月1日) - 大正3年(1914年)7月4日)は、国学者。
人物情報 | |
---|---|
生誕 |
1839年4月1日 日本 江戸 |
死没 | 1914年7月4日(75歳没) |
学問 | |
研究分野 | 国学・国語学 |
研究機関 | 國學院・女子学習院 |
学位 | 文学博士 |
経歴
編集江戸・神田松下町生まれ。幼名は次郎。通称は肥後・鉄直。号は伯随・厚載。和歌を相川景見に学び、平田銕胤に国学を、日本古暦道を権田直助に学ぶ。維新後は文部省、宮内省に出仕し、私塾神習舎で教えた。明治15年(1882年)松野勇雄らと皇典講究所(のち國學院)を設立。明治16年(1883年)矢野玄道と六国史の校訂を嘱託される。國學院教授、女子学習院教授、古事類苑校閲員を務めた。1905年東京帝国大学文学博士。
大正元年(1912年)、六国史校訂材料取調主任に就任。大正3年(1914年)7月4日、腎臓炎と尿毒症のため死去[1]。墓所は青山霊園(立山1イ3-1)。