五蓋
五蓋(ごがい、巴: pañca nīvaraṇāni, パンチャ・ニーヴァラナーニ)とは、仏教における瞑想(禅定)を邪魔する5つの障害[1]、つまり5つの煩悩の総称。蓋(がい、巴: nīvaraṇa, ニーヴァラナ)とは文字通り、認識を覆う障害のこと[1]。
仏教用語 五蓋 | |
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パーリ語 | पञ्च नीवरणानि pañca nīvaraṇāni |
サンスクリット語 | पञ्च निवारण pañca nivāraṇa; |
中国語 | 五蓋 |
日本語 |
五蓋 (ローマ字: Gogai) |
英語 | Five hindrances |
なお、これと似た概念として、生存者を欲界へと結び付ける5つの束縛としての五下分結(ごげぶんけつ、巴: pañca orambhāgiyāni saṃyojanāni[注釈 1])という概念もある。下分(げぶん)とは、下の領域すなわち欲界のこと。結(けつ、巴: saṃyojana, サンヨージャナ)とは「束縛」のこと。
内容
編集Pañcimāni bhikkhave nīvaraṇāni. Katamāni pañca:
Kāmacchandanīvaraṇaṃ, vyāpādanīvaraṇaṃ, thīnamiddhanīvaraṇaṃ, uddhaccakukkuccanīvaraṇaṃ, vicikicchānīvaraṇaṃ. Imāni kho bhikkhave pañca nīvaraṇāni.比丘たちよ、これら五つの蓋がある。いかなる五か。
欲愛蓋、瞋恚蓋、惛眠蓋、掉悔蓋、疑蓋である。比丘たちよ、これらの五蓋がある。
五蓋の内容は、以下の通り[1]
経典での扱い
編集増支部念処経では、釈迦は五蓋の捨断のために四念処を修習するべきと説いている[3]。
沙門果経では、出家者が戒律を収めた後、初禅に入る前の段階として、この五蓋の除去が言及される[4]。この五蓋が取り除かれることで、その人には歓喜・喜悦、身体の軽安(きょうあん)・安楽・三昧が生じ、初禅へと入っていく準備が整うと述べられる。また釈迦は、これら五蓋が残っている状態を、借金奴隷のような形に喩えている。
大王よ、比丘はこれら捨断されていない五蓋を、負債、病気、牢獄、奴隷、荒野をゆく旅路のようにみなすのです。
また大王よ、比丘はこれら五蓋を捨断したことを、無借金、無病、拘束からの解放、自由人、安らぎの場所とみなすのです。[5]
適切業品では、釈迦は慧の具足(paññāsampadā)との形で、在家信者に五蓋を説いている[6]。五蓋に心が打ち負かされると「行ってはならなことを行い、行うべきことを行わないので、彼の名誉と幸福は破滅する」と釈迦は述べている[7]。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f g アルボムッレ・スマナサーラ; 藤本晃『ブッダの実践心理学 アビダンマ講義シリーズ 第2巻 心の分析』サンガ、2006年、Chapt.2-I。ISBN 978-4901679169。
- ^ Upatissa, Arahant and N.R.M. Ehara (trans.), Soma Thera (trans.) and Kheminda Thera (trans.) (1995). The Path of Freedom (Vimuttimagga). Kandy, Sri Lanka: Buddhist Publication Society. ISBN 955-24-0054-6
- ^ パーリ仏典, 増支部九集, 念処経 Sāvatthinidānaṃ, Sri Lanka Tripitaka Project
- ^ 『沙門果経』68-75節
- ^ パーリ仏典, 長部沙門果経 Nīvaraṇappahānaṃ, Sri Lanka Tripitaka Project
- ^ パーリ仏典, 増支部四集 7.パッタカンマ経, Sri Lanka Tripitaka Project
- ^ アルボムッレ・スマナサーラ『テーラワーダ仏教「自ら確かめる」ブッダの教え (スマナサーラ長老クラシックス)』2018年、45頁。ISBN 978-4804613574。