五島市立浜窄小学校
長崎県五島市にあった小学校
五島市立浜窄小学校(ごとうしりつ はまさこしょうがっこう)は、長崎県五島市三井楽町濱窄にあった公立小学校。略称は「浜小」。
五島市立浜窄小学校 | |
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北緯32度44分8.4秒 東経128度39分23.9秒 / 北緯32.735667度 東経128.656639度 | |
過去の名称 |
浜窄尋常小学校 浜窄国民学校 三井楽町立浜窄小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 五島市 |
併合学校 |
貝津尋常小学校 波砂間尋常小学校 |
設立年月日 |
1876年(明治9年)創立 1907年(明治40年)7月統合 |
閉校年月日 | 2019年(平成31年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒853-0605 |
長崎県五島市三井楽町濱窄358番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
2019年(平成31年)3月末に閉校し、五島市立三井楽小学校に統合された[1]。
概要
編集- 学校教育目標
- 「かがやく - 心身共に健やかで、豊かなる力を持った子どもの育成 - 」
- 校章
- 海の波と鳥の絵を組み合わせたものを背景にして、中央に「浜小」の文字(縦書き)を置いている。
- 校歌
- 作詞は中島英治、作曲は富永定美による。歌詞は3番まであり、3番に「浜窄」が登場する。
- 校区
- 住所表記で五島市三井楽町の後に「濱ノ畔(2650~2786番地、2842~2849番地の地域)、塩水、丑ノ浦、波砂間、濱窄、貝津」が続く地区。
- 中学校区は五島市立三井楽中学校[2]。
沿革
編集- 1876年(明治9年) - 「貝津小学校」と「波砂間小学校」が開校。
- その後、「貝津尋常小学校」・「波砂間尋常小学校」に改称。
- 1907年(明治40年)7月 - 上記の2校が統合され、「浜窄尋常小学校」となる。
- 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される。
- この時、新設された尋常科5年生の児童を収容できなかったため、尋常科5年生は三井楽尋常高等小学校に通学することとなった。
- 1914年(大正3年)4月 - 校舎1棟を増築し、三井楽尋常高等小学校に通学していた尋常科5・6年生を収容できるようになる。
- 1916年(大正5年)5月 - 実業補習学校が併設される。
- 1920年(大正9年)10月 - 児童図書館が完成。
- 1928年(昭和3年)- 校舎1棟を増築し、現在地に移転。
- 1935年(昭和10年)6月 - 青年学校令の施行により、併設の実業補習学校が青年学校となる。
- 1941年(昭和16年)
- 1947年(昭和22年)
- 4月1日 - 学制改革により、「三井楽町立浜窄小学校」に改称。
- 9月 - PTAが発足。
- 1951年(昭和26年)3月 - 東校舎2教室を増築。
- 1956年(昭和31年)9月 - 台風12号により5教室が倒壊。
- 1958年(昭和33年)2月 - 校歌を制定。
- 1961年(昭和36年)9月 - 新校舎5教室が完成。
- 1966年(昭和41年)2月 - へき地集会所(体育館)が完成。
- 1976年(昭和51年)11月 - 創立100周年を迎える。
- 1978年(昭和53年)4月 - 特殊学級を設置。
- 1979年(昭和54年)9月 - 鉄筋コンクリート造校舎が完成。
- 1989年(平成元年)- 新体育館(現体育館)が完成。
- 2004年(平成16年)8月1日 - 五島市の発足により「五島市立浜窄小学校」に改称。
- 2019年(平成31年)3月31日 - 五島市立三井楽小学校への統合により閉校[1]。
交通アクセス
編集- 最寄りのバス停
- 五島自動車(五島バス)「浜窄地蔵堂前」バス停
- 最寄りの道路
周辺
編集- 飛行場
参考資料
編集脚注
編集- ^ a b “五島市立浜窄小学校ウェブサイト>閉校関係”. 2019年5月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月2日閲覧。
- ^ 就学指定学校及び区域外通学について - 五島市ウェブサイト
関連項目
編集外部リンク
編集- 五島市立浜窄小学校 - ウェイバックマシン(2016年10月25日アーカイブ分)
- 三井楽町の歴史 - 五島市ウェブサイト
- なつかしの母校(三井楽町) - 五島市商工会ウェブサイト