中学時代はサッカー部に所属。駅伝大会に助っ人として出場したことをきっかけに、専修大学松戸高校入学後、本格的に陸上を始める。
高校卒業後は専修大学に進学。当初は4年生で箱根駅伝に出場できればという考えだったが、当時専修大学のエースであった座間紅祢(専修大学→日清食品グループ)と寮で同室になったことで、座間から刺激を受け意識が変わり、結果として4年連続で箱根駅伝に出走することとなった[1]。
大学卒業後は競技を継続するか迷ったが、当時JR東日本ランニングチームに所属していた藤原新と共に練習がしたいという理由から、JR東日本入社を決めた。(しかし、藤原新は五ヶ谷の入社と入れ替わりに、プロランナーになるためJR東日本を退社した。)
JR東日本では1年目からマラソン練習を始め、2011年3月のびわ湖毎日マラソンでマラソンデビュー。2時間12分07秒という記録でゴールし、新人賞を獲得。その後も積極的にマラソンに取り組み、2011年10月のシカゴマラソンでは日本人トップの7位入賞。2013年8月の北海道マラソンで優勝し初タイトル獲得。2015年2月の東京マラソンでは2時間09分21秒を記録し、自身初のサブテンを達成した。同年9月のベルリンマラソンで日本人トップの好成績を収めたのち、ニューバランスジャパンとアスリート契約を結んだ。[2]
2020年3月31日を以て、JR東日本を退社[3]。ジュニアランニングチームを運営する傍ら、専修大学陸上競技部にてコーチを務める。
- ^ [1] 「脚が壊れても」。五ヶ谷宏司の東京マラソンにかける思い|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva|Other
- ^ [2] ニューバランスジャパンが五ヶ谷 宏司選手とアスリート契約を締結 [株式会社ニューバランス ジャパン] - News2u企業リリース - 朝日新聞デジタル&M
- ^ 引退選手および新加入選手・新スタッフのお知らせ