二階堂行栄
安土桃山時代~江戸時代初期の武将・修験者
二階堂 行栄(にかいどう ゆきひで)は、安土桃山時代の武士・修験者。
時代 | 安土桃山時代 |
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生誕 | 天正9年(1581年) |
死没 | 不明 |
改名 | 行栄僧都 |
氏族 | 須賀川二階堂氏 |
父母 | 父:二階堂盛義 |
兄弟 |
蘆名盛隆、行親、行久、行栄、 岩城御前(岩城常隆正室→伊達成実継室) |
天正9年(1581年)、須賀川城主・二階堂盛義の三男または四男として誕生。父や兄の死後に家督を継いだ様子がないことから、二階堂氏の支族の出身ともいわれる。
天正17年(1589年)、伊達氏の侵攻により須賀川城が落城すると守屋村へ落ち延び、その後京都の聖護院の修験者となる。慶長5年(1600年)に故郷に戻ってからは徳善院を建立し、法印様(行栄僧都)と呼ばれた。