二見敬三
日本の将棋棋士
二見 敬三(ふたみ けいぞう、1932年2月20日 - 1980年8月2日)は、将棋棋士、七段。木見金治郎九段門下。棋士番号は51。大阪府の生まれ。
二見敬三 七段 | |
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名前 | 二見敬三 |
生年月日 | 1932年2月20日 |
没年月日 | 1980年8月2日(48歳没) |
プロ入り年月日 | 1948年(15歳または16歳) |
棋士番号 | 51 |
出身地 | 大阪府 |
所属 | 日本将棋連盟(関西) |
師匠 | 木見金治郎九段 |
段位 | 七段 |
棋士DB | 二見敬三 |
戦績 | |
一般棋戦優勝回数 | 1回 |
順位戦最高クラス | B級2組 |
2017年8月23日現在 |
棋歴
編集戦時中、木見の弟子となり、1948年に若くしてプロとなる。記録が残っておらず四段昇段日が確定していないため、日本将棋連盟は年少での四段昇段記録の列に二見を加えていない[1]。
第5期順位戦C級乙組で1位となり、次期のC級1組に昇級。これにより、飛び昇段で六段となる。
第6期順位戦C級1組は、次期にB級を2つに分けるため、1位が次期のB級1組に、2、3位が次期のB級2組にそれぞれ昇級する戦いであったが、二見は3位となりB級2組へ昇級。
1960年、第4回古豪新鋭戦で優勝。
1970年度、6月から年度末まで休場。しかし、翌1971年度にほぼ五分の成績でカムバックを果たす。
他の棋戦と比べると、二見は順位戦との相性が悪かった。ちょうど名人戦・順位戦が1年間中断[2]した頃、順位戦から陥落する。それから間もなく1977年度から長期休場。1980年、現役七段のまま肝硬変により48歳で[3]死去。
棋風
編集ほぼ居飛車党であり、時折り、定跡にとらわれない力戦調の将棋が見られる。
攻めの棋風で、攻めが筋に入ると強い。しかし、攻め切れずに受けに回ると脆く、また、相手の大駒を攻めている間に自分の玉を攻められてしまうパターンもある。
昇段履歴
編集主な成績
編集- 優勝
- 古豪新鋭戦 1回(1960年 = 第4回)
- 在籍クラス
- 順位戦 自己最高 B級2組