二葉かほる
二葉 かほる(ふたば かおる、1871年11月19日(明治4年10月7日) - 1948年(昭和23年)1月22日)は、日本の女優。本名は鈴木 ふく。
ふたば かほる(読みはかおる) 二葉 かほる | |
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本名 | 鈴木 ふく |
別名義 | 双葉 かほる |
生年月日 | 1871年11月19日 |
没年月日 | 1948年1月22日(76歳没) |
出生地 | 日本・東京府東京市神田区(現在の東京都千代田区) |
職業 | 女優 |
ジャンル | 映画 |
主な作品 | |
『からくり娘』 / 『落第はしたけれど』 『有りがたうさん』 / 『馬』 |
新派や芸者を経て松竹蒲田撮影所に入社し、数多くの映画に出演。栗島すみ子、五月信子、諸口十九ら蒲田のスター俳優の母親役や祖母役を多く演じ、老け役として活躍した。その後はフリーを経て大映専属となった。主な出演作品に『カラボタン』『馬』『無法松の一生』など。
来歴・人物
編集1871年11月19日(明治4年10月7日)、東京府東京市神田区五軒町花屋敷(現在の東京都千代田区)に生まれる[1]。父の鈴木信之は象牙彫刻家であり、その関係から同じ象牙彫刻家の吉田宗斎と結婚するが、離婚して24歳の時に大阪の舞台に立ったあと各地を巡業する[1]。一時、宇都宮で芸者になったこともある。1916年(大正5年)、新派の中野信近一座に加わって連鎖劇に出演する。その後、日活向島撮影所の女優募集に応じ、何本かの活動写真に出演した[1]。
1923年(大正12年)、52歳で松竹蒲田撮影所に入社[2]、島津保次郎監督『人肉の市』などに母親役で出演する。二葉の庶民的な母親像には独特の味わいと親しみがあり、鈴木歌子、中川芳江、葛城文子、米津左喜子らとともに母親女優として活躍した[3]。同年9月1日に発生した関東大震災により下加茂で撮った『山中小唄』では梅村蓉子の母、蒲田へ戻ってからの『二人の母』では三村千代子演じる孫娘を母がわりに育てる祖母を演じ、1925年(大正14年)には飯田蝶子、小林十九二らとともに準幹部に昇進する[4]。以後、蔦見丈夫監督『女難』の岩田祐吉の叔母、池田義信監督『恋妻』の栗島すみ子の母、牛原虚彦監督『征服者』の川田芳子の母、『受難華』の筑波雪子の母など、それぞれニュアンスの違った母を演じ分け、その一方で、大久保忠素監督の『二人の孤児』で悪婆、野村芳亭監督の『カラボタン』などで老妓を演じ、小津安二郎監督の『落第はしたけれど』では下宿のおかみさんを演じたりした[3]。時代劇にも多く出演し、野村監督『女殺油地獄』で諸口十九演じる主人公の母を演じたほか『黒駒の勝蔵』などに助演した。
1940年(昭和15年)、松竹を退いてフリーとなり、東宝の『馬』(山本嘉次郎監督)では高峰秀子演じるヒロインの祖母役を好演、日活の『宮本武蔵 一乗寺決闘』では妙秀尼を演じた。1942年(昭和17年)、大映京都撮影所に入社し、稲垣浩監督の『無法松の一生』で茶店の婆や役で出演。戦後も引き続き大映京都に在籍して、稲垣監督の『おかぐら兄弟』で茶店の老婆、松竹の『東京特急四列車』で霧立のぼるの母を演じ、東横映画の『金色夜叉』に出演中の1948年(昭和23年)1月2日、撮影所に顔を出して間もなく気分が悪くなり、診察を受けに行った病院で脳溢血で倒れ、駆けつけた家人に「私の役はもうすんだはずだが、もし迷感をかけるようなら申しわけがない。それが気がかりだ」と言った後に昏睡状態となり、20日後の1月22日に死去[3]。77歳没。
出演作品
編集映画
編集- 人肉の市(1923年、松竹キネマ) - 母
- 天を仰いで(1923年、松竹キネマ)
- 山中小唄(1923年、松竹キネマ)
- 南の漁村(1923年、松竹キネマ)
- 焔の行方(1923年、松竹キネマ)
- 愚者なればこそ(1924年、松竹キネマ)
- 嘘(1924年、松竹キネマ)
- 踊りの夜(1924年、松竹キネマ)
- 女殺油地獄(1924年、松竹キネマ)
- 海潮音(1924年、松竹キネマ)
- 島に咲く花(1924年、松竹キネマ)
- 二人の母(1924年、松竹キネマ)
- 帰らぬ父(1924年、松竹キネマ)
- 小唄集 第一篇(1924年、松竹キネマ) - 浩の母
- 小唄集 第三篇(1924年、松竹キネマ) - 春代の継母きく
- 罪なき罪(1924年、松竹キネマ)
- 異性の力(1925年、松竹キネマ)
- 或る女の話(1925年、松竹キネマ)
- その夜の罪(1925年、松竹キネマ)
- 虎徹の斬れ味(1925年、松竹キネマ) - 女房お浜
- 恋妻(1925年、松竹キネマ)
- 寂しき路(1925年、松竹キネマ) - 長島の母
- 恋の捕縛(1925年、松竹キネマ) - お里の母
- 土に輝く(1926年、松竹キネマ) - 母
- 黒駒の勝蔵(1926年、松竹キネマ)
- 若き女の死(1926年、松竹キネマ)
- 花井お梅(1926年、松竹キネマ)
- 広瀬中佐(1926年、松竹キネマ) - 祖母まち子
- カラボタン(1926年、松竹キネマ)
- 三人の娘(1927年、松竹キネマ)
- 九官鳥(1927年、松竹キネマ) - 養母おとよ
- 艶魔(1927年、松竹キネマ) - 女房お秀
- 父帰る(1927年、松竹キネマ) - 大風呂敷のおかま
- すね者(1927年、松竹キネマ) - 女房おきし
- からくり娘(1927年、松竹キネマ) - 母親
- 春の雨(1927年、松竹キネマ) - おみよの母・お新
- 白虎隊(1927年、松竹キネマ) - 母お石
- 先生と其娘(1927年、松竹キネマ) - 母
- 道呂久博士(1928年、松竹キネマ) - 患者山田さく
- 晴れ行く空(1928年、松竹キネマ) - 小林おとく
- 森の鍛冶屋(1929年、松竹キネマ) - 妻豊野
- 春容恋達引(1929年、松竹キネマ) - 女将おきん
- 村の王者(1929年、松竹キネマ) - 作造の母
- 壱00,000,000円(1929年、松竹キネマ) - 狂女
- 恋慕小唄(1929年、松竹キネマ) - 母・おとき
- 彼と人生(1929年、松竹キネマ) - 切り下げのお婆さん
- 時勢は移る(1930年、松竹キネマ) - 妻おあき
- 落第はしたけれど(1930年、松竹キネマ) - 下宿のおばさん
- 麗人(1930年、松竹キネマ) - お崎
- 岐路に立ちて(1930年、松竹キネマ) - 母せき
- 女は何処へ行く(1930年、松竹キネマ) - お美津の母
- 若者よなぜ泣くか(1930年、松竹キネマ) - お沢
- 餓鬼大将(1931年、松竹キネマ) - 母おせん
- 昇給と花嫁(1931年、松竹キネマ)
- 金色夜叉(1932年、松竹キネマ) - 下宿のおばさん
- 村の凱歌(1932年、松竹キネマ)
- 青春の夢いまいづこ(1932年、松竹キネマ) - 婆や
- 春琴抄 お琴と佐助(1935年、松竹キネマ) - 鵙屋の女中
- 有りがたうさん(1936年、松竹キネマ) - 母親
- 家族会議(1936年、松竹キネマ) - 老婆
- 君よ高らかに歌へ(1936年、松竹キネマ) - 婆さん
- 男性対女性(1936年、松竹キネマ)
- 人妻椿(1936年、松竹キネマ) - 草間の母とき子
- 花嫁かるた(1937年、松竹キネマ) - その妻
- 荒城の月(1937年、松竹キネマ) - 婆や
- 花形選手(1937年、松竹) - 木賃宿の婆さん
- 家庭日記(1938年、松竹) - 下宿のおばさん
- 南風(1939年、松竹) - 菊子の母
- 小島の母(1940年、東京発声) - 老婆
- 笑ふ地球に朝がくる(1940年、南旺映画) - みね婆さん
- 将軍(1941年、中野プロ) - 祖母
- 馬(1941年、東宝映画) - 祖母えい
- 若い先生(1942年、東宝映画) - 下宿のおばさん
- 宮本武蔵 一乗寺決闘(1942年、日活) - 妙秀尼
- 三代の盃(1942年、大映)
- 無法松の一生(1943年、大映) - 茶店の老婆
- お馬は七十七万石(1944年、大映) - 休之進の母
- 小太刀を使ふ女(1944年、大映) - 老婆
- 殴られたお殿様(1946年、大映) - おろく
- 東京特急四列車(1946年、松竹) - 弓子の母親
- おかぐら兄弟(1946年、大映) - 屋台店の老婆
脚注
編集参考文献
編集- 『日本映画俳優全集 女優編』、キネマ旬報社、1980年。