二刀神影流鎖鎌術
起源・来歴
編集宮本武蔵の「二天一流」後継・寺尾求馬信行の弟子・新免弁助信森を開祖とする「新免二刀神影流」を起源とする[1]。明治時代初期の人物で流派3代目の松村義孝が「二刀神影流」と改めたとされる。その後、「剣二刀流」と「鎖鎌術」に分派し、「鎖鎌術」が「二刀神影流鎖鎌術」となった[1]。
特徴
編集2丁の鎌、片方の鎌につけた鎖分銅(長さ4尺、分銅径1寸)を用いる[1]。鎖分銅で相手に打撃を与えたり、剣を巻き落としたりするほか、鎖分銅が使用できない場面では鎌2丁のみで戦う[1]。二丁鎌を使う日本古武術は当派のみ[2]。
宗家系譜
編集活動
編集高知県で道場運営、武道大会・催事での演舞披露・試合などを行っている[1][4]。2018年にはブラジルにて演舞・セミナーを開催した[2]。
脚注
編集- ^ a b c d e f g h “二刀神影流鎖鎌術”. 日本古武術道協会. 2021年11月17日閲覧。
- ^ a b “天古武道研究所=岸川代表が鎖鎌術で免許皆伝=海外初、島村第六代宗家から=20年越しの修練が実る”. ニッケイ新聞社 (2018年10月6日). 2021年11月17日閲覧。
- ^ a b “日本古武道唯一の二丁鎖鎌 40年ぶり免許皆伝 高知県日高村”. 高知新聞 (2018年5月8日). 2020年11月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年11月17日閲覧。
- ^ “達人による「鎖鎌vs刀」の迫真の演武! まさかこんなに強かったとは”. グレイプ (2016年11月7日). 2021年11月17日閲覧。
関連資料
編集- 堅田重博(指導)、島村収(演舞)『二刀神影流鎖鎌術』(DVD)日本武道館〈日本の古武道54〉、2000年1月26日。ISBN 4862200087。